新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、今やマスクは生活の必需品になった。一時は世界中で需給バランスが崩れ、医療関係者にも十分に行き届かない品薄状態が続いたが、少しずつ安定を取り戻し、デザインや機能など種類も増えている。汗ばむ季節でも、お店や公共交通機関の利用時、エチケットとして手放せないマスク。ウイルスとの共生を求められる時代に、老舗メーカーが地域ぐるみで伝統と確かな技術をいかしたマスクづくりに取り組んでいる。安心して過ごせる持続可能な社会の実現のため、マスクが進化している。
肌荒れで出血 「たかがマスク、されどマスク」
東京都中野区に住む会社員の女性(43)はマスク不足が深刻になった春以降、マスクによる肌トラブルに悩んでいた。街角でたまたま買った不織布のマスクが肌に合わなかったのだ。仕事で人と会うこともあり、マスク着用は欠かせない。しかし、マスクに覆われた周辺は、蒸れて次第に赤く腫れ上がり、その後、乾燥したようにカサカサになっていった。
それでも我慢していたところ、ついに出血してしまい、皮膚科に駆け込むしかなかった。ステロイド外用薬を塗ると炎症は少しずつ治まってきたが、勤務先に行けず、オンラインでのミーティングに切りかえたこともあったという。
「たかがマスク、されどマスク。マスクなんて使い捨てで十分と思っていた。こんなにマスクについて真剣に考えたことは無かった」
女性は、「繊維のまち」で開発された無縫製の手づくりマスクを手にしながらつらい日々を振り返った。和紙が織り込んであるこのマスク。肌触りがサラッとしていて心地よく、肌になじんだという。チクチクするような不快感はなく、伸縮性が高いため、長時間の着用でも耳は痛くならない。何より、顔にフィットするため、肌が擦れる心配からも開放された。「しっかりとつくられたもののありがたさがわかった」と話した。
脈々と受け継がれてきた技術と伝統。そして、時代に合った製品をしっかりと世に送り出す心意気。そんなマスクづくりの裏側は?
「繊維のまち」から新発想 大阪府泉大津市の大津毛織
大阪湾に面した大阪府泉大津市。江戸時代から綿織物の産地として栄え、今でも国産毛布の9割を生産する「繊維のまち」として知られる。中でも2017年に創業100年を迎えた繊維メーカー「大津毛織」は、伝統を受け継ぎながら新しい発想で時代が求める価値をつくり出してきた。
布製の「洗える立体ガーゼマスク」もそのひとつだ。
品薄状態に陥った不織布などの使い捨てタイプではなく、繰り返し使えることができれば、環境にも優しい。日常的に使うものならば、飛沫(ひまつ)感染の予防はもちろん、着用時の息苦しさを軽減し、口紅や化粧が付きにくい構造にできないか……。様々な課題をひとつひとつ乗り越え、ようやくこのマスクができあがった。
素材はコットン100%、キルティング加工を施した4層の立体構造。肌に触れることを考慮し、糸や布地を強い薬剤で加工・漂白をしていないため、綿花の額が黒い点で生地に残っているのは、その証しだという。
生地に毛羽立ちを抑える加工を施し、付け心地は自然そのもの。表裏2層のガーゼの間には、医療用レベルの脱脂綿と不織布シートをはさんでおり、飛沫を防ぐほか、花粉までも遮断できる。立体構造のため、外周は密着しながら、内部には肌との間に空間もある。
まさに地域に伝わってきた綿布産業の技術を存分に使い、こだわり抜いて作り上げられている。

「泉大津マスクプロジェクト」、広まった誤情報をチャンスに
大津毛織は、コロナ禍で店頭からマスクが消え、必要な人に届かない状況を改善するため、市や泉大津商工会議所、地元のほかのメーカーが連携して立ち上げた「泉大津マスクプロジェクト」にも参加した。毛布やニット製品を扱う「繊維のまち」だからこそできる取り組みに地元の繊維メーカー10社が賛同し、デザインや素材など各社それぞれ特徴的なマスクを開発して手作りし、販売してきた。
プロジェクトはものづくりのへの情熱や技術を結集した「まちおこし」の一環でもあったが、誤った受け止め方がインターネット上などで広がり、話題になったこともあった。
当時、泉大津市の南出賢一市長はツイッターで「正しく伝わってほしい。趣旨とそのマスクの素材やつくりをちゃんと知ってもらえたらなあ。泉大津が注目を受けたのは有り難い。チャンスに変えよ」とつぶやいた。

大津毛織は、会社の使命として、「新しい価値をお客様に提案・提供し、満足してもらうこと」を掲げている。そのために、持っている技術などをすべて注ぎ込み、過去の通念にとらわれることなく創造していくと訴える。大切なのは「安く売れるようにすること」ではなく、「お客様が儲(もう)かるもの、満足するものを提供すること」に主眼を置いている。
伝統技術をいかしてマスク不足の解消にひと役買う計画は、予想もしなかった誤解によって大きな壁にぶつかった。しかし、次第に趣旨が理解され、何より品質の良さが広まり、大津毛織は新たに夏向けのマスクづくりに取りかかった。
「新しい生活様式」で迎える初めての夏を快適に
街でマスクをしていないと、白い目で見られているようで落ち着かない。公共施設や店舗などでは、利用時にマスクの着用を義務づけているケースもある。
しかし、マスクは暑い。ただでさえ息苦しいのに、酷暑になったら我慢の限界を超えるのではないか。マスクは必需品だが、気温や湿度の上昇とともに熱中症のリスクも高まってくる。
「新しい生活様式」で初めて迎える夏。少しでも安全に、快適に過ごせるように、大津毛織が再び新しい価値を創造しようというのだ。


寝具も扱ってきた大津毛織。これまで寝心地や柔らかい風合いを極めたガーゼ製品を開発していた。マスクにはその技術やノウハウを応用し、和紙を繊維に折り込んだ生地を使った。すると、触れるとほんのり冷たく感じ、さらっとしゃり感のある肌触りが実現できた。何度か洗うと毛羽立って不快に感じるチクチク感はほぼなくなり、吸水性や速乾性も高まった。蒸れにくいので抗菌や消臭効果もある。
編み上げた2枚の生地を縫製せずに合わせた立体構造のため、より装着感が向上。さらに保冷剤を入れられる小さなポケットまで設け、より涼しく快適に使えるという。


「驚きと感動、そして満足を届けたい」
臼谷喜代孝取締役は言う。「原材料の繊維を見極め、素材の良さを最大限に引き出すのが専門メーカーの使命。受け継がれてきた伝統と、新しい発想を融合させ、新たな価値を生み出したいと考えた。驚きと感動、そして満足を届けたい」
世界はこれまでに直面したことがない困難に立ち向かっている。すべての人が健康で過ごせるように、ものづくりの「新たな試み」が続いている。
<WRITER>小幡淳一
■大津毛織のマスクは朝日新聞SHOPで購入可能