スウェーデンのウプサラ大学によると、国連加盟国のざっと3分の1、世界55の地域で紛争が起きています。難民と避難民の数も右肩上がりであり、その多くは国際貧困ライン(1日1.9㌦=約270円)を下回る生活水準を強いられています。戦争を直視せずには解決につながらないという課題を踏まえ、8月31日、第14回SDGsミライテラス「足もとから世界平和を考えよう」が開催されました。
(SDGsミライテラスのサイトはこちら。スタジオ写真は川津陽一氏撮影)
戦争孤児、サヘル・ローズさんを救った地域社会

本名も知らず、身元が証明できるものも一切なかった俳優・タレントのサヘル・ローズさん。イラン・イラク戦争のさなかに孤児になった彼女が養母とともに来日したのは、8歳の時でした。最初は、人々の見た目の違いに衝撃を受けたそうで、当時の日本社会は外国人と共生する意識が低く、孤独も感じたといいます。
サヘルさんは来日から2カ月たった頃、路上生活を余儀なくされた経験があります。そんな彼女を助けたのは「地域」でした。通っていた小学校で、サヘルさんの異変に気づき、寄り添ってくれた給食職員の女性がいたのです。周りの支援に恵まれたおかげで、サヘルさん母子は日本で堂々と暮らし続けることができました。
しかし、来日に成功したからといって楽な暮らしが保証されたものではありません。大人の場合、母国での経歴は全く生かせず、多くは工場での勤務や清掃業務に携わっています。サヘルさんは、「戦争から逃げてきた人が抱える痛みが伝わりきっていない」といいます。「子供だけでなく、大人も救うことによって、子供が安心して暮らしていける環境が整えられる」とサヘルさんは話します。

2019年、がんになった養母の「イラクを愛しなさい。イラクの人に会ってごらん」という言葉を思いだし、サヘルさんはイラン・イラク戦争でイランの敵でもあったイラクに赴きました。震えながら入国審査を通過した末、サヘルさんはイラクの人が求めていることが、自分たちと同じ「安全な生活」であるのを実感しました。安全な生活がかなわない、という戦争の痛みは歴史が解決してくれないからこそ、サヘルさんは生き残った人として平和の価値を伝えています。
対人地雷除去 本業を通じて社会貢献 コマツ


コマツは、海外の売上高比率の高い建設機械の大手企業です。本業を通じた社会貢献として、カンボジアなどで対人地雷の除去を続けています。地域住民が誤って地雷を踏むケースも多発しており、安価でばらまかれた非人道兵器であるために、被害も甚大です。「カンボジアの国境地域は、道路以外がすべて地雷原といえるほどで、地雷の抱える問題は深刻です」とコマツの地雷除去プロジェクト室長、柳楽篤司さんは話します。

カンボジアで学校建設、農業支援 復興へ
対人地雷の除去だけではなく、活動の継続も大事であるため、コマツは地雷を除去した後の土地を有効に活用することで地域の復興を目指しています。自社の技術を活用し、地域の産業である農業を支え、住民の豊かな生活を促しています。コマツが注力しているもう一つの事業が学校建設です。柳楽さんは「子どもは教育の一番の財産です。学校を建設すると、世界が、社会が良くなっていくと思います。学校抜きに地域社会の成長はあり得ないのではないか、と感じています」と話します。
空襲の記憶を伝える 東大和の戦災変電所

東京都東大和市の都立東大和南公園には、爆撃の爪痕が残っている「旧日立航空機株式会社変電所」があります。この公園は第2次世界大戦当時、日立航空機の立川工場があったため、空襲の標的になりました。爆撃された当時の写真を見ると、防火壁を除くすべてのものが原型をとどめないほど破壊されています。
「東大和の戦争と郷土史研究会」など、保存を求める人たちは「戦争の傷痕が残っている建物を残してほしい」という願いを込め、1988年、市議会に請願書を提出。マスコミ報道などを通じて、旧日立航空機変電所はだんだん人々に知ってもらえる施設になりました。

いまは解説員を配置し、一般向けには週2回公開されています。最近は出張授業で変電所と地域の戦争を伝えるなど、様々な機会を地域コミュニティーが一丸となって共有し、身近なことに触れるという小さなことを通じ、平和の大切さをコツコツと伝えています。東大和市立郷土博物館職員の梶原喜世子さんは「広島の原爆ドームに比べたら、まだまだ知られていないことは事実です」と言いながらも、今後ももっと伝えていくことによって、地域から平和のさざ波を起こしたいと思いをはせます。
和平実現へ、日本にできる貢献は 上智・東教授

NHKのディレクターを経て、現在は上智大学教授を務めている東大作さんは、ウクライナ侵攻の終結を達成させるためには、過去の教訓をもって解決しなければならないといいます。というのも、第2次世界大戦後のさまざまな侵攻が、第三国での和平交渉によって撤退に至ったということです。要するに、戦闘が続いているさなかでも、和平交渉の実施に向けた努力が必要不可欠になってくるのです。
東さんによると、日本はグローバルサウスとも呼ばれている第三世界からの信頼と評価が非常に高い国家です。そこで、今後はこの第三世界への呼びかけを通して、世界全体で撤退を求める機運を高める「世界的対話の促進者」としての役割を果たすことができるといいます。
また、日本の支援に対して、「金銭面の援助だけなのではないか」という批判もよく耳にしますが、東さんは日本ではあまり知られていないものの、実は日本はインフラ支援や人材育成など現地の人に寄り添って、現地の人が自立できるようにする支援も行ってきたと強調します。
一方で、日本は侵略の歴史を有する国でもあります。そのため、中国や韓国など、侵略された国では日本のグローバルファシリテーター(世界の対話促進者)としての役割を疑う意見もあります。東さんは「過去に侵略された国に対して日本ができることは限られているが、外交関係を改善することによって協力の糸口を議論することができるようになる」と述べます。
韓国出身の慶大留学生、平和の意味を考える
ウクライナ侵攻を巡り、サヘルさんが「人々は最初は平和に対する関心が高いものの、大きな出来事があれば、だんだん平和を忘れてしまう」と話したように、時間がたつに連れて平和に対する意識が衰えていくのは非常に危惧されることです。東さんは戦争が終わった後も、平和を維持できる方法を模索するなど、平和にはどういうものが必要であるかをマスメディアと研究者が追い続けないといけないと語ります。

平和に思いを寄せる側と、その思いを受け止める側の間に必要なことは「共感」です。東さんは、「肌で体験する機会を作っていくことが大事であり、旧日立航空機変電所もその一例になります」と述べました。旧日立航空機変電所の存在があまり知られていないことは、私たちがいかに周りに散在している紛争の痛みに気づいていないのかを示すシンボルでもあると思います。さらに、被害の大きさだけに目を向けてしまうことの弊害でもあります。「(原爆ドームなどと比べた場合に)被害が小さくても、建物の傷痕が悲惨であることは変わらない」という梶原さんの言葉を大切にしたいと思いました。
平和を思い起こさせる報道が8月に集中してしまうことを批判する「8月ジャーナリズム」という用語をよく耳にします。振り返ってみれば、若者の間でも「平和」「核兵器」が8月には口にされるものの、その後はだんだん話されなくなります。登壇者が口をそろえたのは「関心を持つこと」の重要性です。私たちは、常に平和を願う意思をもって生きる必要があると感じました。

2023年9月は、冷戦の象徴でもある大韓航空機撃墜事件から40年、デマをうのみにしたことによる虐殺事件があった関東大震災から100年を迎える節目でもあります。自分の感度を高く持って周りに向き合っていれば、平和を象徴する出来事や取り組みは、いつでも見つけられるのではないでしょうか。大学で学びながら、「いま」を紡ぐ人間として、平和の大切さに気づき、命の尊さに感謝しながら生きていきたいと思いました。