(国連諸機関が連携した「人間の安全保障」基金によるアラル海での活動。干上がったアラル海の砂塵によるとみられる呼吸器疾患が周辺住民の間で急増しており、その対策を支援している=国連開発計画(UNDP)のHPより)
「誰一人置き去りにしない」と国連が掲げたSDGs(持続可能な開発目標)への取り組みで、日本政府が「人間の安全保障」という理念を全面に押し出し始めました。日本外交の柱で、日本人で初めて国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんが実践した「人間の安全保障」。SDGsとどうつながるのでしょう。学者出身で緒方さんの「直弟子」、政府の国連次席代表の星野俊也大使(59)に聞きました。
(星野俊也さん(左)は日本政府国連代表部に赴任前、夫婦で緒方貞子さん(右)と会食した=2017年、東京都内。星野さん提供)
――星野さんは緒方さんの「直弟子」だそうですね。どのように学ばれたのですか。
「緒方先生との出会いは40年近く前の1980年、私が上智大外国語学部2年の時でした。感慨深いことですが、先生は政府の国連代表部で今の私と同様のポストを終えて颯爽(さっそう)と教壇に立たれ、学生たちを魅了しました。学識と実務に裏打ちされた『国際機構論』の授業では、国際的な制度が多国間の交渉と妥協のつばぜり合いで生まれ、変化するダイナミズムを学びました。私がゼミ仲間と始めた模擬国連も熱心に支援いただきました。先生を見習って国連を中心とした多国間外交の研究と実務の道へ進み、今日があります。結婚式でも主賓でお出ましいただき、家内ともども公私にわたりお世話になっています」
(1997年、アフリカ中央部ザイール(現コンゴ民主共和国)のルワンダ難民キャンプで助けを求められる緒方貞子・国連難民高等弁務官=朝日新聞社)
「緒方先生は、『人は生きてさえいれば次のチャンスが生まれるはず』という命の大切さへの信念を持ち、紛争下の人々の緊急支援に尽くされました。紛争は根源的には政治決着が不可欠と考え、国連で難民高等弁務官として初めて、米中ロ英仏の五大国が拒否権を持つ安全保障理事会に乗り込んで打開を訴えられました。先生から学んだ最も大切なことは、支援にあたっては独りよがりでなく相手一人ひとりの人格を敬い、共にあろうとする姿勢です。共存を目指すことなしには私たちみんなに共通する人間の安全保障はない、という深遠な意味も含まれると理解しています」
――SDGsは2015年、国連で全193加盟国が賛成し採択されました。緒方さんや日本政府はそれよりずいぶん前から「人間の安全保障」を唱えていて、考え方が似ているなあと思っていたのですが、ようやくつながった感じです。
「政府はSDGsについて、首相を本部長とする推進本部で行動計画を毎年まとめてきました。昨年12月の2019年版で初めて人間の安全保障との緊密な関係を記し、今年6月の『拡大版』でさらに強調しました。『誰一人取り残さない社会を実現するため、一人ひとりの保護と能力強化に焦点をあてた人間の安全保障の理念に基づき、世界の国づくりと人づくりに貢献していく』とあります。今年の『経済財政運営と改革の基本方針』では『人間の安全保障の理念に基づき、SDGsの力強い担い手たる日本の姿を国際社会に示す。特に、質の高いインフラ、気候変動・エネルギー、海洋プラスチックごみ対策、保健といった分野での取組をリードする』と予算の裏打ちをしています」
(政府が2019年6月にまとめたSDGsの行動計画)
――その6月のSDGs推進本部では、安倍晋三首相が「人間の安全保障の理念を国際社会に提示した日本だからこそできる貢献があります」と語っていました。
(SDGs推進本部会合で発言する安倍晋三首相=2019年6月、首相官邸。朝日新聞社)
「国連外交の現場でSDGsと人間の安全保障の相乗効果を探っている私にとっては、力強い表明です。日本は国連で20年前に『人間の安全保障基金』ができた時から拠出を続けています。最近ではこの基金を活用し、世界最大の生態系惨禍とされる中央アジアのアラル海での事業(塩害、水・食糧不足、健康被害などへの対応や経済活動の再建)や、『アラブの春』後の社会の混乱で経済が失速したエジプトでの貧困層支援(上下水道や学校の整備、職業訓練や起業支援など)に取り組んでいます」
「人間の安全保障を重視することでSDGsへの取り組みが厚みを増すという考え方が、6月の大阪でのG20(主要20カ国・地域)首脳会議や、8月の横浜でのTICAD(アフリカ開発会議)を通じて、国際的にも主流になってほしいですね」
(国連「人間の安全保障」基金によるエジプトでの、農業の生産性を上げる活動。「アラブの春」後の経済混乱で生まれた貧困層を支援している=同基金のHPより)
――そもそも「人間の安全保障」とはどういうものなのでしょう。
「起源としては二つ考えられます。まず国連開発計画(UNDP)が1990年代、社会の豊かさをGDPなど国家単位の経済規模で見るのでなく、人々の暮らしにどれほど選択の機会があるかという『人間開発』の視点に転換したことが大きかった。国家間の軍事的な安全保障論が主流の時代に人間の安全保障という概念を示し、人々の福祉に対する脅威として経済、環境、食糧、健康、個人、共同体、政治の7分野に着目するよう訴えました」
「もう一つは、緒方先生と、インド出身のアマルティア・セン教授が共同議長を務めた『人間の安全保障委員会』の2003年の報告書です。緒方先生は国連難民高等弁務官として世界の紛争地で『恐怖からの自由』を求める難民や国内避難民の救援に奔走し、セン教授は貧しい途上国で『欠乏からの自由』を求める人々の豊かな潜在力に着眼しアジア出身で初めてノーベル経済学賞を受けました。報告書では、人間の安全保障について『保護と能力強化』を通じて『全ての人の生の中枢を守り、自由と可能性を実現すること』と定義しました」
「ただ、カナダなどが一時期、人間の安全保障を『保護する責任』論と重ね、大量虐殺や民族浄化といった人道危機が起きている国に国際社会が軍事介入できるという考え方を打ち出したことで、混乱が生じました。日本の人間の安全保障の政策は、ODA(政府の途上国支援)を中心に非軍事の道を追求するもので、1990年代後半の小渕恵三外相・首相当時に日本外交の柱に加わりました。日本は国連で2012年、人間の安全保障とは加盟国が自国の人々の生存・生計・尊厳への広範かつ分野横断的な課題に対処する活動を補助する非軍事のアプローチだとする総会決議を主導し、全会一致で採択されました」
(星野俊也・国連大使=昨年、米ニューヨークの国連総会議場の日本政府席で。星野さん提供)
――人間の安全保障のそうしたアプローチを、2030年までに達成する17の目標を掲げたSDGsにどう生かせば、車の両輪としてうまく回っていくでしょうか。
「SDGsは、世界中の誰も取り残さずに持続可能な発展をするための目標です。人間の安全保障はその目標を共有するだけでなく、実際に取り残された人、取り残されかねない人たちに手を差し伸べる具体的な活動です。SDGsでは17の目標への各国の取り組みや、国連諸機関の活動が縦割りになりがちです。人間の安全保障には、人間中心の視点で開発・人道・平和の手法に横串を通し、事業化してきたノウハウの蓄積があるのです」
「人間の安全保障が克服すべき脅威をSDGsに照らして見つめ直せば、こんなことができそうです。気候変動で自然災害の激甚化リスクが高まる南太平洋の島嶼(とうしょ)国Aでのインフラ整備や防災能力強化、衛生状態が劣悪なアフリカの内陸国Bでの脆弱(ぜいじゃく)層の貧困削減と感染症予防、女性差別が残るC国での被害者保護や自立支援の充実、コミュニティーの意識向上――。国連という多国間外交の主舞台で日本政府代表として、SDGsとの連携をテコに人間の安全保障基金の増資に協力してくれる仲間を探し、世界の人々と生きがいをもって暮らせる未来を切り開くことに少しでも役立てたらと思います」
(干上がったアラル海の湖底で朽ちていく船のそばを牛が通る=2018年、ウズベキスタン・ムイナク。朝日新聞社)
動画/国連「人間の安全保障」基金が紹介する活動
動画/国連「人間の安全保障」基金によるエジプトでの活動の様子