キャリア官僚として仕事と子育てを両立してきたものの、2009年に身に覚えのない郵便不正事件に巻き込まれたのが村木厚子さんです。無罪が確定して厚生労働省に復職すると、2013年に事務方トップの次官に就き、退官後は伊藤忠商事の社外取締役として多様な人材が働きがいのある企業づくりに取り組んでいます。「SDGsミライテラス」は7月21日、村木さんの講演会「私らしい生き方とは」を開催しました。村木さんは、どういう考えをお持ちで、いまの社会をどう見ているのでしょうか。若い人へのメッセージも託してもらいました。
(SDGsミライテラスの4回目の内容です。サイトはこちら)
女性差別に「ゲリラ戦法」 子連れで御用納めに
「組織の中で《ゲリラ戦法》をとることが多かったですね」。村木さんは1978年に入省しますが、当時は「女性差別がいっぱいありました」。政策立案に打ち込みたくても、例えばお茶くみが・・・。旧弊を打破しようと、お茶くみを断る回数を少しずつ増やしたそうです。御用納めの日に子連れ出勤したこともありました。子育てしながら働いているという現実を少しでも周囲に分かってもらうためでした。
-1024x683.jpg)

「お茶くみを女性だけがやるのは男女差別だ。断固拒否すべし」。勇気ある抵抗ができる先輩がいましたが、村木さんは「大きな声で言えなかったし、こぶしも振り上げられなかった」と振り返ります。自身の性格を踏まえて、のことです。ただ、見過ごさず、自分なりの手段を考え、策を講じるのが村木さんです。
唯々諾々と(お茶くみを)やると私の後輩もやらされる。それは避けたいので、勇気のなさを挽回(ばんかい)するためにゲリラ戦法をとりました。『まぁ、しょうがないか。あいつは』と笑ってもらうのが一番良かった」

思春期に「災難」 アルバイトで家計を助ける
今年で66歳になる村木さん。「自分にいま出来ることは何か」を考え、それに集中することが最善の結果につながると信じています。きっかけは、思春期の出来事でした。
高知の私立中2年生だった時に突然、父親が職を失いました。「公立に転校するしかない」と思って父親に話すと、「どんなに無理をしても今の学校に通わせる。頑張ってみろ」。その言葉に背中を押されて中学生の時からアルバイトに励んで家計を助けました。年賀はがきの仕分け、ウェイトレスに加え、「原稿係」と呼ばれる新聞社の庶務業務もこなしました。子ども向け新聞の原稿を書いた事もありました。「ある種の災難です。それにどう対応するのか。目の前のことをとにかく振り払う生活でした」
この経験が、後にいきます。30~40代は仕事と子育てで、てんてこ舞いの日々でした。「そうした時も、いまの環境で自分に何ができるのか、を考えてきました」。悩む後輩にはこのような言葉をかけてきました。「(短時間勤務で)周囲に申し訳ない、どうしようと言うのではなく、どうしたら短時間で効率的に働き、成果を出せるかを考えよう。どうしたら短い親子の時間を楽しく過ごせるかを考えよう」


郵便不正事件でも一貫 自分にできることに集中
いまの自分にできることは何か――。このことに集中する考え方は、164日間勾留された郵便不正事件でも貫きました。一貫して無罪を主張。冤罪(えんざい)が晴れて厚労省に復帰しました。「もし検察官が・・・だったら」「もし誰かがこうしてくれたら・・・」という他人任せの発想に頼らない、というのが村木さんのスタイルです。

娘2人の子育て、多様性を理解
村木さんはことある度に、「2人の娘に鍛えられた」といいます。今回は子育てで得られた「気づき」を話してもらいました。官舎に咲くチューリップを見て子どもが話しかけてきた時のことです。
長女「赤と黄色のチューリップが咲いたよ」
次女「ママ、チューリップが○個咲いたよ」
同じ親を持ち、同じ家庭で育った娘が、同じチューリップを見て、全く違う感想を述べました。村木さんはふと、職場に思いを巡らせたそうです。すると、違う環境、異なる家庭で育ち、職歴の違う人の集合体であることに気づきました。得意不得意、好き嫌いも人それぞれです。「人は違って当たり前」ということがわかり、周囲に優しく接することができるようになったといいます。「こうあって欲しい、と部下を誘導するのではなく、それぞれに合ったやり方でいくしかありません」。子育てを通じて多様性を認めることの大切さを感じたのでしょう。


伊藤忠で共働き夫婦を支える制度を検討へ
2016年に入った伊藤忠では執行部を監督しつつ、現場社員の意見をトップに伝えてきました。「内向き志向の会社にならないようにと考えて、社内の幹部とは違うフィルターを通して感じたことを会社に還元してきました」。伊藤忠の社員数は、5大商社で最も少ない約4200人です。そのため、「厳しくとも働きがいのある会社」を掲げ、社員の労働生産性を高めることに腐心し、業績は財閥系商社と競り合うほどに伸長しました。原則として20時以降の残業を禁じ、朝型勤務を推奨。がん対策などの健康管理も手厚く、「働き方改革の先駆者」として知られるだけに、就職の人気企業ランキングで1位に名を連ねることが珍しくありません。
ただ、企業が持続的に発展するには組織としての多様性が不可欠です。10年来の「働き方改革」で社員の働く意識は変わってきましたが、女性活躍には多くの課題が残っています。これまでの取り組みを検証し、足らないところを新たな施策で補強する必要性がでてきました。
村木さんは昨年、取締役会の任意諮問委員会である「女性活躍推進委員会」の委員長に就きました。これは会社側から提案されたものです。「外資系企業を除けば、女性登用がすごく進んでいる企業はほとんどありません。伊藤忠では取締役会が責任を持ち、覚悟を決めてやろう、となりました」

最初に取り組んだのは、社員の声に耳を傾けることでした。「これまでどんな取り組みをやり、なぜうまくいかなかったのかを率直に点検しました」。その結果をふまえ、女性の積極登用を一段と進め、朝型勤務の制度を進化させて早帰りできるようにしました。在宅勤務を全社員に広げ、「育児両立手当」や「不妊治療休暇」も導入予定です。
伊藤忠の男性社員の共働き比率は43%です。20年前は9%でしたので隔世の感があります。20代は9割が共働きです。時代とともに家族のあり方が変わり、会社に求められる施策も変わってきました。「共働きで働くことを前提にした仕組みをみんなで考えたい。次の課題です」
格差拡大を懸念 希望を持って学べる社会に
-1024x683.jpg)
村木さんには、いまの社会で気がかりなことがあります。世の中の格差が固定しているのでは、という懸念です。「かつては本人が勉強すれば進路がひらけ、チャンスもあった。国公立大学の学費は安く、誰もが希望を持って勉強できることが日本の強みだった。でも、今は家庭の経済的状況が子どもの進路にダイレクトに影響しています」。育った家庭が裕福か、そうでないか。あるいは障害者として生まれたか、そうでないか。「本人が努力しても変えられないことで運命が決まってしまう世の中はすごく嫌です」。格差を是正し、本人が努力すればより良い暮らしや安心できる生活を手に入れることができるようにしたい。そのための環境を整えたい――。切実な願いと受け止めました。
世の中は変えられる 信じて行動を
村木さんは津田塾大学の客員教授を務め、教壇にも立っています。
最後に、若い世代へのメッセージをお伝えしましょう。
「社会は変えられないわけではありません。女性や障害者の働き方は良い方向に変わってきました。みんなが声をあげ、政治や行政、現場の人の努力もあって変わってきたのです。
世の中は変えられます。若い人は、そこを信じて行動して欲しい」
【村木厚子さん】
1978年 高知大学卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省
82年 結婚
85年 長女を出産
91年 次女を出産
99年 労働省女性局女性政策課長
2003年 厚労省社会・援護局障害保健福祉部企画課長
08年 厚労省雇用均等・児童家庭局長
09年 郵便不正事件で逮捕
10年 無罪判決を受け職場復帰、内閣府政策統括官(共生社会政策担当)に
12年 厚労省社会・援護局長
13年 厚労省事務次官
16年 伊藤忠商事社外取締役