(「フリースペースたまりば」の西野博之理事長(右)と聖心女子大学の永田佳之教授)
SDGsで掲げられた17の目標の一つ、「質の高い教育をみんなに」。16年前から学校とは異なる形で、それを実践している場所が川崎市にあります。市の施設「子ども夢パーク」の一角で、NPO法人フリースペースたまりばが運営している「フリースペースえん」。不登校や障害、貧困、虐待など、さまざまな理由で学校や家庭、地域に居場所を見いだせない子どもたちの「たまり場」をつくり、多様な学びの機会を提供しています。たまりばの理事長、西野博之さん(59)は「学校以外でも学ぶ道はある」と話します。たまりばの理事でもあり、ESD(持続可能な開発のための教育)、オルタナティブ教育などを研究する聖心女子大学教授の永田佳之さん(56)とともに、「フリースペースえん」を訪ねました。
【対談したおふたり】
西野博之(にしの・ひろゆき)
認定NPO法人フリースペースたまりば理事長、フリースペースえん代表、川崎市子ども夢パーク所長
1960年生まれ。86年から子どもや若者の居場所づくりに関わり、91年に川崎市高津区で「フリースペースたまりば」を開く。2003年、同区の市子ども夢パーク内に「フリースペースえん」を開設し、06年からは指定管理者として夢パーク全体の運営管理を行っている。文部科学省「フリースクール等に関する検討会議」委員などを務める。早稲田大学、神奈川大学非常勤講師。
永田佳之(ながた・よしゆき)
聖心女子大学現代教養学部教授、同大学グローバル共生研究所副所長、開発教育協会評議員
1962年生まれ。2004年、国際基督教大学大学院教育学研究科博士号取得。国立教育政策研究所、ペラデニヤ大学(スリランカ)客員研究員などを経て、07年から現職。「豊かな教育社会とは」をテーマに、ESD、国際理解教育、多文化共生、オルタナティブ教育、ホリスティック教育、国際比較教育などに取り組む。アジア学院評議員、フリースペースたまりば理事なども務める。
――子どもたちの元気な声が響いていますね。「フリースペースえん」はどのような場所ですか?
西野:学校や家庭、地域の中に居場所を見いだせない子どもや若者がやって来て、自分がしたいことをして自由に過ごします。昼食を作ったり、絵を描いたり、ものづくりしたり、パソコンでゲームをしたり、楽器を演奏したり。10,000㎡の広い敷地がある子ども夢パークの中を走り回ったり、木登りしたり。いまは毎日のようにサッカーもしています。ここでは「何しない」ことも保障されています。何かを強制されることも、誰かに評価されることもありません。基本的に平日の午前10時半から午後6時まで開いていて、いつ来て、いつ帰っても良いんです。今年3月末時点で川崎市内外の151人が登録し、利用しています。小中高生が中心ですが、「障害」やコミュニケーションに問題を抱え、就学や就労が難しい18歳以上の人もいて、学校の教育現場にはない異年齢・異質が交ざりあった環境で、互いにさまざまなことを学びあっています。
活動のベースである昼食作りは毎日、希望する子どもたちとスタッフが相談してメニューを決め、それぞれ買い出しに行ったり、夢パーク内の畑で野菜を収穫したりして協力しながら行っています。学校に行っていない子どもたちはね、ご飯を作って食べるだけで元気になるんです。不登校にはさまざまな理由がありますが、例えば貧困が背景にあって学校に行きづらくなってしまった子の家庭では、自宅で調理してご飯を食べるという文化がないケースもあるんです。コンビニやスーパーで買ってきた弁当やカップラーメンを、ただ食べてゴミにして捨てるだけ。鍋・釜や包丁もありません。暮らしが壊れてしまっている。もっとうまいものを食べようという欲も出てこないので、元気が出ません。学ぶ意欲も働く意欲も湧いてこない。だから、「えん」では暮らしの基本である「食」を取り戻すことを大切にしています。
(自分たちでつくった昼食を一緒に食べる子どもたちとスタッフ=川崎市高津区)
――西野さんが「フリースペースえん」を作ったいきさつを教えてください。
西野:私が子どもや若者の居場所作りに関わり始めたのは1986年からです。91年から川崎市高津区の多摩川沿いにアパートを借りて、不登校の子どもや高校を中退した若者、ひきこもり傾向にある若者が集まって来られる居場所「フリースペースたまりば」を開きました。「たまりば」という名前は「たまり場」と「Tama River」(多摩川)から付けました。日本の学校教育では学校に行けないというだけで、「できそこない」とか「甘えだ」とか責められます。その中で追い詰められて、命を落としてしまう子どもたちが少なからずいます。たかが学校に行けないだけで。だから、私は「学校じゃない場所でも学ぶ道、生きる道はあるんだよ」というメッセージを伝えたくて活動を始めました。
2003年に川崎市子ども夢パークが出来た時、たまりばをNPO法人化し、夢パーク内に公設民営の「フリースペースえん」を開設しました。当時、川崎市には約1300人の不登校の小中学生がいましたが、市が運営する適応指導教室は3つしかなかったんです。じゃあフリースクールはどうかと言うと、文部科学省の調査によると月会費が平均で3万3千円かかります。それだけの金額を支払わないとオルタナティブな教育が受けられないというのが現状なのです。だから、「えん」では月謝などはもらっていません。
(「フリースペースえん」がある「川崎市子ども夢パーク」に掲げられている「子どもの権利条例」=川崎市高津区)
――永田先生は2004年7月から「フリースペースたまりば」の理事を務めています。オルタナティブ教育を研究する立場から、「えん」の活動をどのように見ていますか?
永田:子どもたちがすごく明るいでしょう? 不登校やひきこもりの子どもたちに暗いとか、マイナスのイメージを抱いて来ると、きっと驚くと思います。SDGsの理念として「No one will be left behind」(誰も置き去りにしない)という大切なメッセージがあります。しかし、SDGsを議論する場に社会から置き去りにされた人たちの姿は皆無に等しい。「質の高い教育をみんなに」と考えた時、「えん」に集まってくるような不登校の子どもたちの声に耳を傾けているでしょうか。もちろん、国連や国レベルでSDGsを引っ張っていくことも重要です。しかし、「誰も置き去りにしない」ためには、社会的に置き去りにされている人たちに傾聴し、共に運動を創っていくことが求められます。
昨年7月にドイツのベルテルスマン財団とSDSN(持続可能な開発ソリューション・ネットワーク)が発表した「SDGs達成ランキング」では、日本は156カ国中15位でした。17の目標のうち、「質の高い教育をみんなに」という項目のみ、「達成されている」と評価されています。本当にそうでしょうか? 確かに就学率だけ見れば良い数字かもしれませんが、文部科学省の調査では欠席日数が年間30日以上の不登校の小中学生が14万人以上います。さらに、日本財団が発表したデータでは保健室登校をしたり、遅刻や早退が多かったりする「不登校予備群」の中学生が約33万人いるとされています。
西野:学校に通えていない子どもだけをとっても、質の高い教育を平等に受けられているとは言えない状況です。「障害」のある児童・生徒や外国籍の子どももそうでしょうね。
永田:そういった状況の中で、「えん」ではSDGsの実現につながる日常の実践が見られます。さまざまな年齢の子どもたちが一緒に食卓を囲み、自由に学び、困っている人がいたら誰かが気付いて手をさしのべる。この居場所で当たり前のように見られる人や環境へのケアこそがSDGsに必要とされているのではないでしょうか。
西野:ここでの私たちスタッフの役割は子どもたちが「おもしろい」と思ったこと、その興味の芽を摘まないことだと思っています。「えん」では役者やミュージシャン、外国人の英会話講師などいろんな人が来て、講座を行っています。例えば、カカオの実からチョコレートを作るというワークショップを通じて、途上国の児童労働の現状を知り、プラスチックゴミについての授業がきっかけでペットボトルを買うのを控えるようになった子もいます。子どもたちは目を大きく見開きながら、聴き入っています。こうして、さまざまな体験を通して社会を学んでいきます。
(子ども夢パーク内の音楽スタジオでバンドの練習に励む「フリースペースえん」の子どもたち=川崎市高津区)
永田:2015年にSDGsが採択される以前からESD(持続可能な開発のための教育)という考えがありました。温暖化や砂漠化、森林伐採などの地球規模の課題に取り組む時、技術革新や法律による規制なども大切だけど、もっと重要なのは教育や訓練、そして市民意識ではないだろうか。一人ひとりの価値観が変われば、ライフスタイルが変わって、社会も変わる。そのための教育をしていこうというのがESDです。西野さん自身そんなつもりは全くないのかもしれませんが、「えん」はこのESDのエッセンスを体現し、持続可能な未来につながる教育を実践しています。
――「えん」の活動を通じて、子どもたちにどのような変化が見られますか?
西野:私はよく「非認知能力を育んでいる」という言い方をします。日本の学校教育ではテストの点数などで数値化されてしまいますが、ここでは数値化できないような能力を身につけることができます。ご飯をつくったり、秘密基地をつくったり、楽器を弾いたり、一見遊んでいるようだけど、遊びの持っている力は大きいんです。先日、うちのスタッフ同士が結婚することになり、子どもたちが夢パーク内で「手づくりの結婚式をやろう」と言い出したんです。式の場所決めから飾り付け、ケーキや衣装作りまで、本当にうちの子たちは何でも自分たちでやっちゃうんですよ。そうした遊びを通して、コミュニケーションを学び、目標に向かって突き進む力を身につけます。
永田:子どもたちは、参加型の学びを通して正義感を発揮することもあります。ゴミ問題について学び、「なるべくペットボトルは買わないようにしよう」と行動に移すのもその一つ。正義感は今の社会で最も求められていることです。昨年8月、気候変動に対する取り組みが不十分な大人たちに抗議して、スウェーデンの16歳の少女、グレタ・トゥーンベリさんがストックホルムの議会前で座り込みを始めました。そして、12月にポーランドで開かれた国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)でこんな演説をしました。「あなた方は自分の子供を何よりも愛していると言いながら、その目の前で子供たちの未来を奪っているのです」。そして今、彼女に呼応する形で、世界中の子どもや若者たちがストライキを始めています。日本でも規模は小さいですが、東京や京都で温暖化対策の強化を求めてデモが開かれています。私も3月に国連大学前で行われたデモに行ってきましたが、地球環境に対する正義感を持つ一方で、自然体で自分たちの想いを伝えていた若者たちの姿勢が印象に残りました。
多様な経験を通して自身の価値観が変わり、社会を変えていく原動力になる。そのための教育を実践しているのが「えん」のようなオルタナティブな教育の場です。学校の教育現場ではテストや評価、先生と生徒の上下関係など、様々な制度が本当の学びの機会を奪っているように感じています。「えん」の子どもたちには、SDGsを決して人ごとではなく、自分自身の課題として捉える力があります。不登校の子どもたちから、むしろ私たちが学ぶべき正義感や態度は決して少なくないのです。
<WRITER>永井美帆 <写真>岡田晃奈