私は故ジョン・レノンの名曲「イマジン」が大好きです。ジョンの独特な歌声と彼が描いた理想の歌詞を聴く度に鳥肌が立ち、目頭が熱くなります。「Imagine all the people, Sharing all the world…You may say I'm a dreamer, But I'm not the only one.」
「誰一人取り残さない」世の中を2030年までに築く。2015年に国連総会が満場一致で採択したSDGs(持続可能な開発目標)が掲げている人類の壮大な夢の達成に必要なのは、ジョンが訴えていたように、私たちの想像力です。
想像力とは、人間力そのもの
子供の頃、私たちの想像力は豊富でした。地球の皆が手をつないで輪になっている。そんな世界の絵を描いていたでしょう。しかし、「教育」の過程のどこかで、大人の現実とは何を「やりたい・やりたくない」という無邪気な理想像ではなく、何が「できる・できない」という行動規範になってしまいました。
ただ、想像力とは子供のときの遊び心ではありません。地球の生物の中で人間しか持っていない貴重な特長です。チンパンジーのように知能が高い生物でも、自分が体験したことの延長に未来があります。しかし、人間は想像力があるから、自分が体験していない飛躍する次元で未来を描けます。自身が実際に体験することのない未来も実感できます。
AI(人工知能)が描く未来も、知っている現状からの延長です。膨大なデータを深掘りする能力は人間よりはるかに富んでいますが、人間のように不完全なデータから未来へ飛躍して描くことができません。想像力とは人間力そのものです。
2030年までにSDGsの「誰一人取り残さない」世の中の達成が、できる・できないという現在からの延長で予測することではなく、やりたいんだという飛躍。これがSDGsの本質だと思います。
(「SDGs」について、詳しくはこちら:SDGs(持続可能な開発目標)とは何か?17の目標をわかりやすく解説|日本の取り組み事例あり)
SDGsは、身近な社会課題を提示する「グランド・メニュー」
(2018年、東洋学園大学流山キャンパス公開教養講座 渋沢栄一の「論語と算盤」で未来を拓く より)
さて、SDGsという存在がどれほど世間に知れ渡っているのでしょうか。電通が2018年の1~2月に実施した調査によると日本(全国10~70代の男女計1,400人を対象)でのSDGs認知率は全体で14.8%に過ぎなかったようです。また、朝日新聞が東京都か神奈川県に住む15〜69歳のインターネット利用者を対象に昨年7月と今年2月に行った調査では「SDGs」という言葉を聞いたことがあるという認知度の結果はともに12%でした。
この記事の読者はSDGsに関心があるでしょうから、かなり低い認知率と感じるかもしれません。電通の調査によると世界20カ国・地域におけるSDGsの平均認知率は51.6%のようですから、日本人の関心は著しく低いように見えます。
しかし、「20-80の法則」、上位20%の要素で全体の80%程度を占めるという側面ではティッピングポイントに達しており大きな意識変化が訪れるムーブメントが近づいていると言えるかもしれません。たった3年前の2015年には、日本のほとんど誰もSDGsのことを知らなかったことと比べると、現在では経済界、官庁、学術界、メディアなど私の周囲の方々の多くの認知度が高まっていると感じています。少なくともMDGsと比べると一般の認知度は格段に高いです。
MDGs(ミレニアム開発目標)とはSDGsの前身です。2000年の国連ミレニアム宣言に加え既存の国際開発目標を統合して形成され、2015年までに達成を目指す8つのゴールがあり、現在のSDGsの17のゴールと似たような世界的課題の項目が設定されていました。
実はMDGsが目標設定していた2015年に向けて議論がかなり白熱しました。MDGsの8つのゴール、21のターゲット達成できていない状態なのにSDGsの17のゴール、169のターゲットへと広げるには無理がある。このような懸念です。
しかし、結果的にMDGsがSDGsへと進化することは良いと私は思いました。MDGsの基本的な考えは先進国から途上国へ、そして、政府間あるいは開発援助の専門家の領域の話でした。
一方、SDGsのキーワードはサステナブル、持続可能という包括的な言葉です。サステナビリティーということは先進国から途上国への開発目標ということだけではありません。日本のような先進国自身のサステナブルな経済成長という課題も含まれます。また、サステナビリティーの課題解決は政府や専門家の間の話や行動だけではなく、民間や一般人にも関わるアクションです。
SDGsの17のゴールと169のターゲットは確かに多いです。ただ、豊富なセレクションを提示するグランドメニューであると考えれば、一企業であっても、一個人であっても、何かの形で参加できるはず。この身近さがSDGsの魅力だと考えます。
子供や孫たちの未来のために、世代を超えられる投資を
私はコモンズ投信という長期投資の運用会社の事業運営に携わっています。なぜ、金融業界に属する私がSDGsに関心を寄せるのか。その原点はコモンズ投信を仲間たちと創業した2008年から数年前にさかのぼります。ちょうどMDGsが採択された2000年に自分が親になった頃でした。
それまで外資系金融機関に勤めていた私は毎年の稼ぎなど目先の生活に重きを置いていました。ところが、生まれてきた我が子を抱きながら、遠い未来がちょっと見えました。成人になっている子供が留学したい、起業したいなど親の元を離れて自らのチャレンジへと旅立つ姿です。親バカの想像の世界に過ぎません。ただ、そのように成長した子供の背中を押せるような応援資金を毎月積み立ててつくりたいと思い立ちました。
これが長期的な積み立て投資を始めた自分のきっかけで、その数年後にコモンズ投信を立ち上げた原点です。日本全国には自分のように子供や孫たちの未来のために世代を超えられる投資を通じて応援したいと思っている家族がたくさんいるはず。全国から集まってくる方々と一緒に、よりよい未来を共創するファンドを世の中へ提供したいと考えました。
自分だけでは微力な存在です。しかし、大勢と一緒になれば世の中の流れを「今日よりも、よい明日」へと実現する勢力になりえます。また、一家族のサステナビリティーが実現するためには、世の中のサステナビリティーが不可欠です。そして、このような期待に応える長期投資では、目先の株価の動きに目を奪われることなく、企業の持続的な価値創造が対象となります。
ESG投資の本質とは、企業の持続的な価値創造を支える“先行投資”である
(2017年、Harvard Business School・渋沢栄一記念財団共催公開フォーラム 「Stakeholder Capitalism During Turbulent Times」より)
企業の持続的な価値創造のためには持続可能な世の中が不可欠。このようにコモンズ投信が実践している長期投資はSDGs、また、ESG投資へとつながっています。
ESG(環境、社会、ガバナンス)を重視する投資への関心は、日本企業への最大の投資家であるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が2015年にPRI(国連責任投資原則)に署名したことをきっかけに著しく高まりました。運用会社にとって最大級の顧客でもあるGPIFが財務的要素だけではなく、環境、社会、ガバナンスの考慮を投資プロセスに要請することのメッセージ性は強烈です。
ESGの取り組みを怠ることは企業のリスクを高めるという意識が広まりました。つまり、環境や社会配慮を訴える団体から批判の的になるだけではなく、GPIFのような大口投資家によって株式を売却されるかもしれないという懸念です。
ただ、ESGの本質とは企業のリスクマネジメントにとどまることなく、企業の持続的な価値創造を支える先行投資であると私は考えています。ダーウィンの進化論が正しければ、一番強い種が生き残ったのではなく、環境変化に一番適応できた種が生き残っています。
ESGに意識が高い企業は、会社の枠組みの外の世界の変化に意識的にレーダーを張っている企業です。また、SDGsに真摯(しんし)に向き合う企業とは、世の中の課題の認知だけではなく、その課題を解決することに価値創造の本質が宿っていることがわかっている企業です。
そういう意味で、事業収益に直接的に関与しない事柄は「自分たちの仕事ではない」と断言する会社と比べて、ESGおよびSDGsに関心が高い企業の方が外部環境変化にレジリエントに適応できる期待があるという理由から長期的な投資対象になると私は思います。
自分や家族のための投資という一見、利己的な行動に長期的な時間軸を刺すと「誰一人取り残さない」という利他の精神へとつながるのです。