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障害を越えた“音楽”をホワイトハンドコーラスで|日本のエルシステマの取り組み

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藤谷健

朝日新聞社コンテンツ戦略ディレクター

 

音楽を手話で表現するホワイトハンドコーラス

 

夏の暑い盛りの日曜日。池袋にある東京芸術劇場の5階の部屋に子どもたちが集まってきた。未就学の5歳から17歳の高校生まで7人あまり、そして付き添いの親御さんたち。2ヶ月後に控えた、日本初のホワイトハンドコーラスの発表会に向けた練習が開かれていた。

 
講師を務めるベネズエラ人声楽家、コロンえりかさんは、一人ひとりを見ながら、歌を口ずさみ、大きな身振り手振りで説明を始めた。子どもたちは、コロンさんをじっと見ながら、一緒になって手を動かす。コロンさんの声が響くほかは、静かな空間が広がる。

 
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(コロンえりかさん(左)に合わせ、手ぶりで表現する子供たち=17年8月、東京・池袋、藤谷健撮影)

 
ホワイトハンドコーラスとは、聴覚障害や自閉症、発声に困難を抱える子どもたちに参加を促し、音楽を、手話を借りつつ、自分の表現で伝える創作パフォーミングアーツだ。南米ベネズエラで23年前に誕生した。白い手袋をしてパフォーマンスするため、こう名付けられた。

 
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参加者の一人で、都内の聾学校に通う高校3年生、新井ひかるさん(17)も、コロンさんを真似するように自分の手を動かした。学校で配られたホワイトハンドコーラスのチラシを見て「やってみたい」と思い、友達を誘った。

 
まったく新しい挑戦。テンポの取り方など、まだ難しいと感じる。それでも「歌詞を伝える手話ではなく、(ホワイトハンドコーラスは)自分の中でいろいろなイメージを思い描きながら表現できるので、とても楽しい」。これをきっかけに新井さんの夢は広がる。「今回ベネズエラのこと、外国の手話ことなど、たくさんのことを知ることができた。これからもっと海外のことを知りたいし、外国の人とも話をしたい」

 

「エル・システマジャパン」代表理事・菊川穣さんが企画

菊川さん
(菊川穣さん)

 

ホワイトハンドコーラスのプログラムを企画したのは、一般社団法人「エル・システマジャパン」(東京都千代田区)。代表理事の菊川穣さん(46)は「日本では子どもたちが音楽に触れる機会は多い。しかし障害があると状況は一変する。機会をつくり出すことで、障害を持つ子どもたちが自己表現をし、自信を持つようになる。そんなお手伝いができれば」と話す。

 

子供の頃から国際協力に関心が持っていた菊川さんは、英国の大学院を卒業後、国連機関の国連教育科学文化機関(ユネスコ)や国連児童基金(ユニセフ)に所属。教育や子ども保護、エイズなどの担当として、南アフリカやレソト、エリトリアで勤務した。

 

10年前に日本ユニセフ協会に異動した後、2011年3月の東日本大震災が起きた。協会の緊急支援活動の責任者を務めるかたわら、常に頭の中を離れなかったのは、子どもたちの未来づくりの視点だったという。「震災の復興は長期にわたる。それはまさしく子どもたちの人生そのものになる。そこにどう寄り添うかを常に考えていました」

 

「東北には音楽が必要。エル・システマをやるべき」と提案を受けた

 

震災から半年あまりが経とうとしたある日、その後の人生を大きく変える出来事があった。ユニセフ親善大使として、復興支援のため日本を訪れていたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のホルン奏者、ファーガス・マクウィリアム氏から「東北には音楽が必要だ。エル・システマをやるべきじゃないか」と提案を受けた。

 

エル・システマとは、1975年に南米ベネズエラで始まった音楽教育運動で、都市のスラムや農村部で貧困や犯罪、薬物といった問題に直面する子供たちにバイオリンなどの楽器を与え、オーケストラの一員を目指すことで、生きる力をつけてもらおうという取り組みだ。運動はベネズエラ国内から海外にも広がっていた。マクウィリアム氏は、ベネズエラで活動を支援した後、母国英国・スコットランド地方に設立した。少子高齢化、過疎化など東北とスコットランドに共通する課題もあるではないか、というのがマクウィリアムさんの考えだった。

 

菊川さんの原動力となった「震災復興から見えてきたこと」

 

菊川さんもエル・システマのことはテレビ番組などを通じて知っていた。当初は迷いがあったものの、他の音楽家の後押しもあり、日本で初めてとなる「エル・システマを立ち上げることを決意した。ユニセフ協会を退職し、翌年3月、正式に「エル・システマジャパン」が設立された。5月には福島県相馬市と協定を結び、実現に向けて大きな一歩を踏み出した。

 

自治体や教育委員会、学校との調整、指導者や楽器、練習場所の確保…。やることは山積みだった。こうした中で、菊川さんを支え、動かす力の原点となったのは、復興支援にかかわるなかで感じた「違和感」があったという。「被災者の置かれた状況は本当に大変でした。ただ復興の過程で、震災以前から存在していた『地方と都市』『地方と地方』の格差がはっきりと見えてきたのです」

 

福島県郡山市は、“東北のウイーン”と呼ばれるが

 

菊川さんは続ける。「東京一極集中はよく言われますが、県内格差も深刻に思えます。例えば、大学進学率を見ると、東京が8割、全国平均が5割、これに対して、岩手三陸の沿岸部は2割を切っており、相馬に続いてエル・システマの活動を始めた大槌町はわずか1割です。ほかにも一人親の世帯数、外国人の住民の割合など、こうした歪みが見て取れます」

 

音楽教育も同じだと言う。相馬と同じ福島県の郡山市は、昔からオーケストラや合唱が盛んで、東北のウイーンと呼ばれていた。施設が充実し、指導者も大勢いて、多くの子供たちは日常的に音楽に触れてきた。だが少し離れると、そうした機会が非常に限られる。

 

質の高い教育が平等に受けられるとされている日本。しかし足元を見ると、まだ機会の不平等がまだら模様にある。「誰もが潜在的な能力を持っています。しかしさまざまな理由から、機会が与えられないでいることが少なからずあります。そうした活かされていない能力を発揮できる仕組みづくりを模索していきたいと思います」

 

「ずたずたになったコミュニティーを再生する」

 

エル・システマの活動は、相馬から大槌、そしてさらに広がり始めた。エル・システマにより、子供たちにとって音楽が身近になるだけでなく、こうした活動を見守る、例えば地元の高齢者の心を打ち、関わり合いが生まれることで地域が元気になる。

 

震災以前から弱く、被災によってずたずたにされてしまったコミュニティーが、再生していくのを目の当たりにした。今春、エル・システマジャパンの活動地域としては3カ所目となる長野県駒ヶ根市で始まったのには、コミュニティーを活性化するという大きな狙いが込められている。

 

耳ではなく、手から音を聞いた瞬間

 

様々な理由から潜在的な能力を発揮することが妨げられている子供たちに機会をつくる——ホワイトハンドコーラスは、エル・システマの延長線にある活動だ。

 

夏の練習会も終わりに近づくなか、エル・システマの協力者でもあるチェロ奏者が子供たちに自分のところに集まり、楽器に触れるように声をかけた。興味津々のまなざしで、子供たちは、楽器の胴の部分などに手のひらをあてる。奏者が弓をゆっくり動かすと、大きく、低い音が鳴り響いた。子供たちは、驚き、そして歓声を上げた。振動が手から身体に伝わり、耳からではないけれど、音を聞いた瞬間だった。

 

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(聴覚障害を持つ子供たちは、恐る恐るチェロに手を当てた。次の瞬間、音が聞こえてきた=東京・池袋、藤谷健撮影)

 

コンサート
(舞台に立ったホワイトハンドコーラスの子供たち(手前中央の紺のシャツ)=東京・池袋、FESJ/2017/Koichiro Kitashita)

 
前回のこのコラムでは、タイの教育をテーマに「平均が覆い隠す現実」を取り上げた。多数が教育の機会を得られたとしても、民族や地域など、さまざまな理由から、機会すら与えられない人たちもいる。SDGsの目標4「質の高い教育をみんなに」の実現を目指す時には、合わせて、目標10「国内および国家間の不平等を是正する」の視点を持ち続けたい。菊川さんたちの取り組みが、それを教えてくれる。

 
 

目標4:すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する
Ensure inclusive and quality education for all and promote lifelong learning

図4

 
・開発途上国の初等教育就学率は91%に達したが、まだ5,700万人の子どもが学校に通えていない。
・その半数以上は、サハラ砂漠以南アフリカで暮らす。
・小学校就学年齢で学校に通っていない子どものおよそ50%は、紛争地域に住んでいるものと見られる。最貧層世帯の子どもが学校に通っていない確率は、最富裕層の子どもの4倍に上る。
・世界は初等教育で男女の平等を達成したが、すべての教育レベルでこの目標を達成できている国はほとんどない。1990年から2015年にかけ、15歳から24歳の若者の識字率は世界全体で、83%から91%へと改善した。

 
目標10:国内および国家間の不平等を是正する
Reduce inequality within and among countries

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・人口の規模を考慮に入れると、1990年から2010年にかけ、開発途上国の国内における所得格差は平均で11%拡大した。
・開発途上国では、75%を超える圧倒的多数の世帯が現在、1990年代よりも所得分配が不平等な社会に暮らしている。
・20%の最貧層世帯の子どもは依然として、20%の最富裕層の子どもに比べ、5歳の誕生日を迎える前に死亡する確率が3倍も高くなっている。
・全世界で社会保障は急激に拡大しているものの、障害を抱える人々が高額医療費を負担する確率は、平均の5倍に上る。
・開発途上国の大半で、妊産婦の死亡率は全体として低下しているものの、農村部の女性は依然として、都市部の女性に比べ、出産中に死亡する確率が3倍も高くなっている。

(国連広報センターのプレスリリース<2015年9月17日>より抜粋)

 
 
「SDGs」について、詳しくはこちら:SDGs(持続可能な開発目標)とは何か?17の目標をわかりやすく解説|日本の取り組み事例あり
 
 

  • writer藤谷健

    朝日新聞社コンテンツ戦略ディレクター

    1987年、国際基督教大学(ICU)卒業後、朝日新聞社入社。在学中、フィリピンの大学に留学。宇都宮、札幌を経て、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)で開発学修士。ローマ、ジャカルタ、バンコクに駐在するなど、主に国際報道畑を歩む。途上国の開発問題や日本の国際協力、アジアやアフリカがテーマ。英語のほか、インドネシア語やタイ語を話す。

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