2030 SDGsで変える

我々は、SDGsとどう付き合うべきなのだろうか

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蟹江 憲史

慶應義塾大学大学院
政策・メディア研究科教授

(写真↑=SDGsを効果的に実施するカギを研究者や国連関係者らを集めて議論した、ニューヨークにおけるワークショップにて 写真右奥が筆者)
 

2011年夏、地球サミットから20年を記念して翌年に開かれる「リオ+20」国際会議の準備過程で、突如として「持続可能な開発目標(SDGs)」をつくろうという提案が、コロンビアとグアテマラを中心に出されました。
 

「国際制度」と「グリーン経済」が2大課題だった国際会議への準備過程で、国際制度に関する研究プロジェクトをリードしていた私が、最初にこのSDGsというものと向き合ったのは、それからわずか1カ月ほど後の箱根の山の中でのこと。国際制度関係のステークホルダーを集めた「Hakone Vision Factory」という国際ワークショップで、当時のグアテマラ政府代表を務めていた女性外交官からの問題提起でした。
 

私は直感的に、目標に関するこの提案が、実はグローバルガバナンスを大きく変革するツールとなりそうだ、ということに気づきました。その後、2013年から環境省の戦略研究プロジェクトのリーダーとして、SDGsの策定過程に提案を行うようになりました。
 

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(SDGsを日本で効果的に実施するにはどうすればいいのか。学生との議論で知恵を絞る。 撮影:大久保 惠造)
 

その結果として2015年に出来たSDGs。目標が出来た後にこそ、そのガバナンス機能が本格的に稼働することになります。きちんと稼働させるためには、現実世界の動きにもコミットしていくことが重要で、もはや研究者は象牙の塔にこもるのではなく、社会のステークホルダーとともに活動してこそ、社会を対象とする学術の意義がある。私はそう考えました。
 

折しも、国際研究プログラム「フューチャー・アース」により、文系・理系・社会といった垣根を越えた研究こそが、新たな知の境地を開拓するとの認識が広がりつつありました。それは、私が所属する慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)が、開設当時から掲げる理念とも一致するものでもありました。
 

こうして、遅れてついてきた時代の波に乗りながら、次の時代を切り開くべく、研究室でも学生と一体となってSDGsの研究を進めることになったのです。
 

企業、自治体、想像以上だったSDGsへの関心

その後、昨年(2017年)後半ごろからの、SDGsへの関心の高まりには、目を見張るものがあります。2015年にSDGsが決められた当初、あるいはそれ以前の予想から考えると、想像していた以上の展開というのが、正直な感想です。
 

とりわけ企業や自治体の関心が高いのです。自治体については「誰一人取り残されない」というコンセプトが、取り残されつつある「地方」にとって、地方創生との兼ね合いで有効だと考えることは論理的に納得できるものでもあり、わかりやすくもあります。
 

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(2018年2月、”地方創生×SDGs”をテーマに、慶應義塾大学SFC研究所xSDG・ラボが主催して東京・国際文化会館で開いたシンポジウム)
 

しかし、これほどまで多くの企業がなぜSDGsか、ということについては、少し頭をひねらないと、わかりにくいところもあります。実際、企業の側でも、どこまでコミットすべきか、本当にコミットしていいものなのか、と、悩んでいる(あるいは迷っている)向きも多いように感じます。
 

もちろん、私としては少しでも多くの企業に、持続可能な成長へ向けての対策を早急にとってもらいたいと思っています。格差や貧困の現状や、悪化する一途の地球環境の現状を考えれば、むしろいまからでは遅いぐらいだとさえ思います。ただ同時に、多くの企業がSDGsに関心を持っているとなると、どこまで「本気」で取り組むつもりでいるのかが気になってきます。
 

正しいからか、利益になるからか

そもそもなぜSDGsをやるのか。この点については、大きく二つの異なる見方があるように思います。
一つの見方は、倫理的に正しいことだから、というものです。
 

SDGsの17目標、169のターゲットは、どれをとっても文句のつけようのない倫理的に「正しい」ものが並んでいます。ある講演での質疑の時間に、参加者のひとりが、あまりにも「正しい」ことばかりが並んでいてむしろ胡散(うさん)臭く感じる、とさえ言い放っていたのが印象的です。貧困をなくす、飢餓をなくす、フードロスを半減する、ジェンダー平等を実現する…確かにどれも「正しい」ことであり、それを将来実現することに国連全加盟国が賛同したことからも、反対理由を見つけることのほうが難しいような目標ばかりです。
 

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したがって、SDGsは倫理的に正しいことを並べたものだ、というわけです。「願いのリスト(ウィッシュ・リスト)」を並べることで、賛同者が集まり、それが力になっていく。そうしたリストをみて、「よし、やろう」という人は、はじめは少ないかもしれませんが、一緒にやる人の輪を少しづつ広げていくことが大事であり、それが広まったとき、持続可能な社会が実現する、というのです。
 

もう一つの見方は、利益になる/得をするから、というものです。
 

例えば、無駄な電気を消せば、それだけ電気代が減るし、同時に燃料消費も減る。5キロ程度の移動であれば、車でなく自転車を使うことで、燃料代がかからず、また燃料を消費しないばかりか、健康にも良い効果が得られるでしょう。これは、「今現在」の損得を考えてのことで、出発点はそこにあります。
 

しかし、もう少し時間軸を延ばして考えることも可能です。例えば、自宅で太陽光発電をすれば、電力を買わなくてよいばかりか、売れる場面さえ出てくる。初期投資は必要になりますが、長期的に考えれば得をする、あるいは少なくとも損はしない世界があります。家電売り場に行けば、製品価格と省エネによるランニングコストの比較の表があり、「〇年以上使うのであればこっちの方がお得」とうたっているのは、このあたりの消費者意識をくすぐろうとするものといえるでしょう。
 

同じ論理がSDGsにも適用できます。長期的にみて得をする、あるいは損をしないためにSDGs達成へ向けた行動をとる、ということです。ビジネスに使う資源の調達元で、環境破壊や人権侵害が発覚すると、調達が止まってしまう。パーム油やパルプを扱う産業にとっては、こうしたリスクを避けるため、SDGs対応調達を行うことは、本業を進めるために重要になります。
 

あるいは、環境や社会対応と、企業経営がしっかりしているところに投資をするというE(Environment、環境)、S(Social、社会)、G(Governance、ガバナンス)投資を呼び込むために、SDGsに取り組むというのも、得をするからやる、ということでしょう。
 

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もともと環境政策や環境ガバナンスを専門としてきた身から考えると、一見、ここのところのSDGsへの関心の高まりの要因は、後者(=利益になる)のアプローチにあるように思われます。
 

前者(=倫理的に正しいこと)のアプローチは、これまでも、エシカル消費や、気候変動対策を行うなかで主張されてきた、いわば伝統的な、環境主義的アプローチと軌を一にします。ごく単純化すれば、良いことだから、地球環境が崩壊してしまいそうだから、環境対策をする、というものです。
 

しかし、残念ながら、このアプローチでは世の中が大きく「変革」へと舵(かじ)を切ることはありませんでした。もちろん、唱え続けることは重要で、少しずつであれ、社会は動いてきたのも事実です。しかし、それを昨今のSDGsへの関心の高揚と合わせては、説明がしきれないようにも思います。
 

こう考えると、SDGsへの関心が高揚している本質は、後者すなわち、行動経済学的説明にあると考えられそうなのです。
 

経済も倫理も含んだ「総体」として

しかし、ここでもう一度SDGsを眺めてみると、そう単純でもなさそうです。
 

SDGsの重要な柱の一つには、経済の持続可能性もあります。経済成長を持続的に続けていくこともまた、SDGs達成のためには重要なのです。つまり、「良いこと」の中にはもちろんこれも含まれているわけです。経済的観点から自己利益を伸ばしていくという観点さえも、倫理的に「正しいこと」に含んでしまっているのがSDGsだ、ということになります。
 

そう考えたとき、大事なのは、SDGsを「総体」として考えることにありそうです。そもそもSDGsが合意された当初から、これはindivisible whole(不可分の全体)して考えるのが大事だということがあらゆる場で強調されてきました。一つ一つ分けて考えることが出来ない、総体としてSDGsを見ることの重要性です。
 

実際、SDGsの国際交渉は、いったん2014年でワーキンググループでの議論に決着がついて、2015年はその結論を最終的に「2030アジェンダ」とするための議論が進められました。そこでSDGsの数や内容を改変することも可能でしたが、そのようなことは起きませんでした。全体としてバランスよく盛り込まれているSDGsは、どこかをいじるとバランスが崩れてたちまち合意が成り立たなくなる、というのがその理由でした。
 

17目標、169ターゲット全体で一つのパッケージなのです。
 

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(経済―社会-環境は入れ子状につながっている。)
 

倫理的に良いことを行うとみても、自己利益になるからSDGsに対応するとみても、SDGs全体からの、総合的な観点を持つことが大事になります。では私たちは、どうSDGsを実践すべきでしょうか。
 

もちろん優先課題を設定し、そこから入っていくことは重要です。しかしそれは、「やりやすいところだけやって、それで終わる」ことではない。「やりやすいところから入って、どんどんやる」ことです。その道筋は、バックキャストで2030年の未来から考えるのです。
 

これまでの倫理的視点は、経済成長を十分勘案していたでしょうか?
これまでの経済活動は、環境や社会の持続可能性に対応することこそが、経済成長につながる、と考えてきたでしょうか?
 

そこから一歩踏み出して、21世紀的倫理と21世紀的経済のクロスロードに位置するものが、SDGsなのではないでしょうか。
 

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(「未来からの留学生」たちとの議論は、未来志向になる。 撮影:大久保 惠造)
 

研究室では、倫理と経済のクロスロードにあるSDGs達成のためのアクションのあるべき形を、自らがコミットしながら追っています。SDGsの「優良事例」の創出に貢献しながら、そのプロセスやエッセンスを研究し、そして、それがよりマクロに「目標ベースのガバナンス」としてどのように機能していくのかを明らかにしたい、と考えています。そのために、「xSDG・ラボ」という研究ラボラトリをつくり、企業や自治体といったステークホルダーとの連携メカニズムとして「xSDG・コンソーシアム」を立ち上げました。
 

SDGsが「我々の世界を変革する」ものであるとすれば、研究の世界も変革する必要があるでしょう。ラボやコンソーシアムを通じて、研究も新たなフロンティアに挑戦したいと思っています。
 

これからいよいよ本格化する、SDGs達成へ向けた活動を紹介していきます。
 

  • writer蟹江 憲史

    慶應義塾大学大学院
    政策・メディア研究科教授

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