▲桜の名所・京都の祇園白川。華やかな美しさで有名だが、桜の開花時期は、民家への立ち入りなどが頻繁に起こり、問題視されている
伝統を重んじ、健康にいい和食を食べる。畳や障子など自然素材が多用されたシンプルな家屋に暮らし、季節の移り変わりに寄り添い、自然と共生し、よく働く。
筆者が働く宿に来る外国人ゲストから断片的に聞いた日本人のプラスイメージをまとめると、こんな感じになる。幻想といわれればそうかもしれないが、実際、現代の日本人の多くは、部分的にでもこんな暮らしを営んでいるのではないだろうか。
初詣は欠かさず、地域の夏祭りには家族で参加。週に何度かはランチに和定食を食べ、畳の部屋で寝て、ベランダには日差しよけの葦簾(よしすだれ)。
寝るときだけ布団を敷き、昼間は部屋を広く使うというフレキシブルな和室の使い方だけでも、一度設置したら動かさない前提の重厚な家具に囲まれて寝起きする欧米人からしたら「ミニマリズム」と感じるそうだ。「サステイナブル(持続可能)な暮らし」のヒントは日本にある、とも言われたことがある。
光栄なことではあるが、これを観光の分野で考えると、ちょっと違う景色が見えてくるように思う。


旅の恥はかきすてられるのか?
「旅の恥はかきすて」という言葉がある。
知りあいがいない旅先なら、恥ずかしいこともその場限り。旅に出ると、楽しむことが最優先になり、ゴミを散らかしたり、撮影に夢中で人の邪魔をしたり、大声で騒いだり飲み過ぎて羽目を外したり。ふだんその人がしないようなこともなぜか旅先ではやらかしてしまう。
インバウンド旅行者が急激に増えたここ数年は、外国人のマナー違反が指摘されることも多かった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大後、特に「GoToトラベル」キャンペーンで国内の観光客がほぼ日本人で占められるようになってからは、日本人観光客のマナーの悪さがメディアで取り上げられることも増えた。ロビーで騒ぎまわる自分の子を放置する、感染対策に協力しない、スタッフを怒鳴りつける、ビュッフェで皿に山盛りにした料理を写真だけ撮って残す、部屋のアメニティーをごっそり持ち帰る……など、ちょっと信じがたいような実例も紹介されていた。
と、いうことはマナーが悪いのは日本人なのか?
いや、それも違う。
宿屋の立場からすると、文字通り「人による」。人種や性別、年齢を問わず、マナーを守らない人はいる。ただ外国人の場合、単に文化を知らない無知や誤解から来るケースが多いが(もちろん元々無礼な人もいる。これも人による)、日本人の場合、「旅先だし、まあいいか」「これっきり会わない相手だからいいか」と、自らタガを外してしまうケースがあるように思う。まさに「旅の恥はかきすて」感覚なのだ。

昔の話だが、町内会や社員旅行のバスツアーに添乗員として同行したとき、昼間は無口だったおじさんたちが宴会で突然ハジけてしまうのに何度も目を丸くした。一般募集のバスツアーでも、若い女性添乗員を急に怒鳴りつけたり、写真撮影を巡って地元の人とモメたりする参加者を見てきた。これが海外、特にチベットやインドの奥地に行くようなツアーでは、全くそんなケースを見たことがない。「旅の恥はかきすて」が発動するのは、日常の延長線上にある、見慣れた非日常空間に限られるのだと思う。
この「かきすて」文化(?)は最近始まった話ではない。以前、旅行業界誌で日本の観光旅行史について書く機会があり、昔の資料をあたったのだが、ひと昔前の社員旅行はコンパニオン同席でどんちゃん騒ぎは当たり前、添乗員の仕事は宴会の盛り上げ役。団体旅行獲得のため旅行会社が幹事を招待した旅行では、接待用に女性の手配も行ったとか。これは昭和時代の話だが、そういえば江戸時代のお伊勢参りをコミカルに描いた『東海道中膝栗毛』も、弥次さん喜多さんの行く先々でのハジけっぷりが面白いのだった。
ちなみに「観光」という言葉が今の意味で使われるようになったのは明治以降。弥次さん喜多さんの時代には、伊勢参りや富士講など、聖地をお参りするついでに道中を楽しむ、というのが旅の基本スタイルだった。聖地では居住まいを正さないといけないが、道中は地元でも聖地でもないフリーゾーン=「恥のかきすて」OK、という感覚が昔からあったのかもしれない。

ではそのフリーゾーンでなにをしたいか。これは江戸時代からあまり変わらない。グルメ、買い物、温泉だ。 賛否渦巻く「GoToトラベル」の実施を通じて感じたのは、日本人の旅好き、そして温泉や名物を楽しむ昔ながらの旅への愛着だ。感染対策の影響もあり、露天風呂付きの部屋・豪華な部屋食プランに利用者の人気が集まったと聞くが、部屋はユニットバスで朝食のみ、という我が宿「楽遊」の口コミに、「部屋に温泉露天風呂がなくてがっかりした」と苦情が寄せられたのには驚いた。旅館=温泉=大浴場か部屋の露天風呂、という連想で、予約サイトの説明や宿のWEBページなども見ないまま泊まられたようだ。こちらのアピール不足が原因だし、残念すぎる誤解だが、それだけ日本人の中に旅や旅館のイメージが強く刷り込まれているのだと知った貴重な体験だった。
日本人にとって、SDGs視点を盛り込んだ旅とは
そんな日本人にとって、サステイナブル・ツーリズム(持続可能な観光)、あるいはSDGs的な視点を盛り込んだ旅というのは、どんな位置付けなのだろうか。
JTB総合研究所が2019年に実施した「旅行者のSDGsに対する意識調査」によれば、日本人のSDGsに対する認知は29.8%と外国人の84.2%に比べると低く、SDGsに配慮した旅行について「必要だと思う」は日本人が75.2%と、外国人の96.7%に比べるとやはり低い。そして、「必要でないと思う」の理由として最も多かったのが「観光は単純に楽しむものであるから」、次に「価格が高くなりそうだから」「社会問題や環境問題の解決につながると思わないから」と続く。
どの理由も根っこのところでつながっている。日本人にとっての旅行、観光は昔も今も「楽しむもの」と位置づけられる傾向にあるのだ。
外国人から見ると、持続可能な暮らしを日常で営む日本人が、旅に出ると非日常を求め、結果的に非・持続可能なふるまいに至ってしまうことがあるのは、周囲の目を気にしがちな日本人らしい、面白い現象だと思う。
【参考記事】SDGs達成に向けた旅行・観光分野の役割 ~「SDGs達成に貢献する旅行」への意識に海外と日本で大きな差~
SDGs的観光は昔からある

一方、受け入れる側の観光地や観光業者はどうか。日本において、持続可能な観光、SDGs的視点にたった観光は難しいのだろうか。
前回ご紹介したように、国連で採択された持続可能な開発目標・SDGsの17の目標のうち、観光分野での役割が示されたのは「ゴール8 働きがいも経済成長も」、「ゴール12 つくる責任 つかう責任」、「ゴール14 海の豊かさを守ろう」の三つだが、UNWTO(国連世界観光機構)は、観光は17の目標すべてに直接的・間接的に関わる力がある、としている。
確かにその通りで、観光は移動・学び・運動・食・宿泊・購買などいくつもの行動を含むため、さまざまな形で17のゴールにアプローチできる。実のところ、日本では昔からSDGs的な観光へのアプローチは行われてきた。
例えば、広島や沖縄などで行われてきた戦争体験の語り部ツアーや、東日本大震災の被災地で行われている津波と震災の語り部ツアーなどは、暗い歴史から未来を学ぼうとする「ダーク・ツーリズム」にも分類されるが、SDGs的観点からすれば、これらのツアーは街の再建を考える「ゴール11 住み続けられるまちづくりを」、戦争を知ることで「ゴール16 平和と公正をすべての人に」、震災や津波を知ることで「ゴール14 海の豊かさを守ろう」「ゴール15 陸の豊かさも守ろう」に結びつけられる。
島国で豊かな海洋・森林資源に恵まれた日本の自然を訪ねる「エコツアー」は全国で盛んに行われており、これはもちろん「ゴール14 海の豊かさを守ろう」「ゴール15 陸の豊かさも守ろう」へと向かうきっかけとなる。
日本の伝統建築、あるいはライフスタイルを旅行者に伝える媒体でもある民宿や旅館も、SDGsに結びつく存在だ。その多くが小規模で、地域密着型の運営(その点でいうと、小規模なペンションやゲストハウスも同様だ)であることを考えると、「ゴール8 働きがいも経済成長も」そして「ゴール11 住み続けられるまちづくりを」の達成に貢献できるはずだ。


もう少し具体例を挙げてみよう。サステイナブル・ツーリズムの可能性を示す例は、全国にある。
例えば、北海道の知床五湖では、観光客が集中する夏場は地上歩道が混雑し、植生の踏み荒らしなどの被害が起きている上、夏場はヒグマの活動期にあたるため、出没にあわせて急に閉鎖するなど不安定なオペレーションが続いていた。これを解決するため、安全に歩ける高架木道を設置。クマの活動期に地上歩道を歩く場合はガイドツアーの参加を必須とした。またシーズンによって入域制限や課金制度を導入して、環境への負荷を小さくする試みが行われている。
茨城県桜川市真壁町では、2003年に地元の有志が発案した「街じゅうにお雛(ひな)様を飾ろう」という試みが広まり、現在は期間中に10万人が訪れる「真壁のひなまつり」というイベントに成長した。
京都で話題となったのは、仁和寺が文化財保持の財源確保のために2018年に開始した「1泊100万円」の宿坊・松林庵だ。僧侶のプライベートツアーなど特別な体験もでき、2019年8月時点でのべ9組が利用したという。
オーバーツーリズムが問題視されてからは、マナー啓発への取り組みも各地で盛んに行われるようになった。例えば、京都の祇園町南側地区では、エリアに近づくと舞妓(まいこ)・芸妓(げいこ)の無断写真撮影禁止などのマナー情報がスマホにプッシュ通知されるシステムが試みられている。
SDGsと観光の関わりが具体的に示されて以降、具体的なアクションを起こす観光業者も増えてきている。ごく一例を挙げよう。
●中部観光(富山型SDGs産業観光ツアーを実施)http://chubu-kanko.jp/sdgs/
●藤田観光(運営施設内でのプラスチックストローの廃止、下田海中水族館の出張授業など)https://www.fujita-kanko.co.jp/sdgs/index.html
●東武トップツアーズ(学習プログラムを通じた教育事業への参画など)https://www.tobutoptours.co.jp/society/sdgs/
●海栄RYOKANS(休館日を導入し外国人の雇用を促進、宴会の食べ残しを減らすための「3010運動」など) https://www.kaiei-ryokans.com/about/sdgs.html

「ところでお前の宿はどうなのか」、とそろそろ聞かれそうな気がするが、正直、取り組みとしては、まだまだだ。
わが宿「京町家 楽遊」は、京都の街並みを形成する京町家の商家を忠実に再現した新築旅館。建築に潜む京都と日本の知恵や美意識をゲストに伝えるのが大事だと考えている。加えて、滞在するだけで京都らしさに触れられるよう、館内着や座布団、花入れなど多くの小物が京都産。朝食のパンや漬物はご近所の人気店から仕入れ、目の前にある銭湯の無料入浴券もサービスしている。京町家は人が暮らすための住居建築なので、観光スポットを巡るだけでは味わえない「京都らしい暮らし」を楽しんでいただければ、という考えだ。そのため、地元のお店やご近所の先輩方ともつながりを絶やさないように心がけている。だが、それをストーリーとしてきちんと提示できているかというと、残念ながらまだ全然足りていないと思う。

本当は、環境保護の観点から、リネン類は連泊の場合希望された部屋だけ取り換えるといった取り組みもしたいのだが、現在は感染対策を優先させ、毎日取り替えている。一方、同じ感染対策の観点から一時取りやめていた朝食ブッフェは、あらかじめ料理を小皿に取り分け並べておく方式にしたものの、食品ロスが多く、ゲストからの反応もいまいちだったため、こちらは感染対策を念入りにした上で、ブッフェ形式に戻した。
おそらく現在は、多くの宿泊施設や観光施設が、感染対策とサステイナブル・ツーリズム、そして顧客満足度とのバランスに頭を悩ませていることだろう。コロナ禍だからとSDGs達成に向けての歩みを止めてしまうと、観光業が復活したときに未来がない。すぐに動けるように職場環境を整え、地域の方々との連携を切らさないようにし、環境負荷軽減に向けてアイデアを練り、よりよい情報が提供できるように学びを深めておく――。全部できたらスーパーマンだが、実現に向けて努力しておくことは必要だ。
こうして悩みながらも歩んでいくことで、本当の意味での持続可能な観光と宿泊業について何かがつかめるかもしれない(その前に宿がつぶれないように、頑張ります!)。

観光は便利な経済政策だった
ここまで見てきたように、日本おいて、旅行者側ではSDGs的観光がそれほど意識されていない一方、現場の取り組みは盛んだ。SDGs的な旅は、いつもの旅とは違う、特別なものとしてとらえられているような印象を受ける。なぜだろう?
ひとつの理由は、日本の観光政策だと思う。
明治時代以降、多くの外国人が日本を訪れ、上高地や箱根など自然豊かな場所、スキー場、海水浴場など新たな観光地の需要が高まり、政府は外貨獲得と国際的な地位向上のため、観光地開発をすすめた。このときの経験は第2次世界大戦後、日本の多くの産業が壊滅的な打撃を受けたあとにも生かされ、外国人旅行者に向けた国際観光ホテルの建設など、インバウンド獲得への取り組みが行われた。やがて日本全体の復興が進み、高度経済成長期に入るとレジャーブームが到来し、景観破壊やマナー違反といった「観光公害」もとりざたされながらも、日本の観光産業は国内旅行客をメインターゲットとして走り続けた。
しばらくインバウンドの数は横ばい状態が続いていたが、状況を打破したのは1997年に成立した外客誘致法、そして2003年にスタートした「ビジット・ジャパン・キャンペーン」だ。小泉純一郎首相(当時)が、520万人あまりだったインバウンドを「2010年に1000万人にする」と宣言。まずは当時1500万人〜1600万人程度だった日本人の海外渡航者・アウトバウンド数(2003年はSARSの流行により1300万人台に減少)とバランスをとることが目的とされた。
しかし2012年ごろから、LCCの増加や、主にアジア諸国の経済成長やビザの緩和にともないインバウンド数が急上昇。2013年に当初の目標だった1000万人をクリア、2015年にはインバウンドの数がアウトバウンドを上回った。
急激な右肩上がりに刺激されるかのように、政府が掲げる目標はどんどん高くなっていった。2012年には「2016年までに1800万人、2020年までに2500万人」、2016年には「2020年に4000万人、2030年に6000万人」へと、とんでもない目標値と「成長戦略」が示された。
2019年、アウトバウンドは旅行業界が長年目標としてきた2000万人にようやく達したが、インバウンドは3188万人とはるかに多い。当初言われていた「アウトバウンド数とのバランス」はどこ吹く風である。
長引く不況、特に疲弊する地方経済にとって、インバウンド需要は少ない元手で結果が見込める数少ないチャンス。本来は地域活性化に役立つはずの観光産業の成長だが、数値目標に目を奪われるうち、成長に伴う痛み、つまりオーバーツーリズムや環境保護問題、違法民泊、地域住民と観光客の分断、雇用問題などは後回しにされた。
地域や観光施設にもよるが、サステイナブル・ツーリズムを積極的に、系統だててアピールしていく取り組みもまた後回しにされがちで、一般的な観光とは「別枠」のような形になってしまった。これが、観光客の意識とうまく結びついていない理由のひとつだと思う。
そして2020年、コロナ禍ですべてがストップした。
ここで政府が再び頼ってきたのが観光産業である。「GoToトラベル」政策についてはまた改めて触れる機会があると思うが、困ったときの便利な経済政策として観光を使いたがるのは政府の伝統芸(?)なのだ。
世界でサステイナブル・ツーリズムやSDGsの概念が受け入れられているなか、そろそろ数字だけ、成長だけを追いかける政策を卒業する時期がきているのではないだろうか。成長はいつか必ず止まるし、成長し続けるのが必ずしも日本や地球のためになることではない。

旅や観光は、本来、人間に新しい発見や解放感を与え、学びの場になる。人と人との触れ合いも生まれるすばらしい平和産業だと筆者は信じている。
自由な行き来ができなくなった今こそ、問題点をとらえなおし、日本の文化や自然を未来に伝えていくための手段として観光を見直すべきだと思う。再び自由な旅が復活する時期は、旅という行為は今より貴重になっているはずだ。そのときに、国内外の観光客に何を見せるか、どう見せるか。地域や自分も含めた観光に関わるすべての人々の意識にかかっている。伝えたい日本の良さを保ったまま、未来の子どもたち、未来の観光客にその姿が見せられるよう、いま頑張るしかない。
参考資料:
「日本版持続可能な観光ガイドライン(JSTS-D)」(観光庁)
「International Tourism Highlights 2019年日本語版」(UNWTO)
「ポスト・オーバーツーリズム 界隈を再生する観光戦略」(学芸出版社)
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