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女医、女子アナ…その「女」は必要か  ジェンダー表現、本当にこれでいい?

更新日 2022.06.01
目標5:ジェンダー平等を実現しよう
目標17:パートナーシップで目標を達成しよう

ジェンダー平等の実現に向けて、新聞やウェブ記事の表現を見直そうと、全国紙や地方紙の記者20人が中心となって、「失敗しないためのジェンダー表現ガイドブック」(小学館)を出版しました。執筆に関わった朝日新聞阪神支局の中塚久美子記者、大阪経済部の栗林史子記者と、ジェンダー表現を取り巻く現状を考えました。聞き手はwithnewsの水野梓編集長です。

※この記事は朝日新聞ポッドキャストの抄録です。番組は記事文末からお聞きになれます。また、抽選で10名に「失敗しないためのジェンダー表現ガイドブック」をプレゼントします。こちらからお申し込みください。

水野 本のタイトルに「失敗しないためのジェンダー表現」とありますが、どんな表現が問題になっているんでしょうか。

栗林

私自身も失敗してきた反省があります。例えば、夫婦で事業をされている方を記事にする時に、無意識に夫の名前が先で、次に妻の名前にしてしまいます。しかし、そういう表現をすることで、実態がそうでなくても、女性が男性に従っている構図に見られてしまうし、「男性が主」という考えを再強化してしまうということがあるんですね。

私も、当たり前のように男性を先に書いてきたな、と気づかされました。

中塚

選挙取材でも、子育てとの両立などの質問は、男性の候補者には聞かないのに、女性には聞いてしまう。前提として、家事育児をやるのは女性という考えがあるからですよね。

最近、広告などでも、「性別による役割の押し付けだ」という批判を浴びて、SNSなどで炎上することもありますよね。

ある企業が、お父さんはお母さんの育児のイライラを分かってあげよう、という表現をして批判されたことがありました。企業はお母さんを応援しようと善意のつもりでも、育児は女性がやるものという意識が透けてみえてしまい、反発を呼んだのだと思います。

どこかに残っている古い価値観みたいなものが、ふとした時に表出してしまうというのは、もともとは悪気はないだけに、批判される方にとってもつらい状況ですよね。

「昔はよかった」わけではない

ジェンダー表現の問題として、マイナスの影響が次世代にもすり込まれていくということがあります。

性別などの属性に期待される役割にはまらなかった時に、社会から排除される現実を見聞きすると、じゃあ自分は合わせてしまおうと考える人も多いと思います。国籍や人種も同じことだと思うのですが、決められたイメージに沿わないことへの恐れみたいなものが、再生産されていくことは大きな問題です。

たとえば、女性はおとなしいもの、一歩下がっているもの、というステレオタイプがあります。その裏返しとして、声を上げる女性、たとえば女性の弁護士さんや、女性の権利のために活動されている方などへのバッシングは、本当にひどいものがあります。

表現の問題を考えようと伝えた場合に、「色々なことを言いづらい世の中になった」とか「昔は良かったのに」といった反応がかえってくることもよくありますよね。

自分たちのコミュニティーの中では許される表現も、世界の基準で考えれば駄目ということが増えてきました。社会の一員として、変わっていかなければ、信頼までも失うことになりかねないことを認識する必要があります。

昔は良かったと言っている人は、気を使わない側にいただけで、その当時も嫌だなと思っていた人はたくさんいたはずです。でも、その痛みは無視されてきたというのが、本当のところだと思います。

傷つけられてきた側が、ようやく声を上げられるようになったということですよね。

ゲイの人はみんな「おしゃれ」?

一方で、自分がマジョリティー側になる場面もあります。例えば、性的少数者の方にまつわる表現では、どんな問題が起きているのでしょうか。

たとえば、「ゲイの人っておしゃれだよね」とか、「辛口のコメントをしてくれそう」とか、悪気なく言いがちですよね。でも、すべてのゲイの人がおしゃれだったり、毒舌だったりするわけではありません。ステレオタイプの押しつけにモヤモヤしている当事者もいます。

映画など物語のなかでも、そういう担当を割り振られがちだと感じます。

物語の主人公の親友のゲイは、いつも主人公を助けてくれる存在として描かれがちですよね。いつも引き立て役の扱いで、同性愛者のキャラクターはきちんと描かれないことが、近年は批判されています。

属性で人を見ないのはすごく大事ですよね。

今回、本を執筆するにあたって、ジェンダーについて学ぶ2日間のキャンプを行いました。やはり、それぞれが経験値や断片的な情報に頼っているところがあって、誤解に基づく判断もありますし、ジェンダーと聞くだけで拒否反応を示されることもあります。今は1億総発信者みたいな時代ですので、自分たちの失敗を含めて、ジェンダー表現について広くシェアできればと思います。

自分の価値観のアップデートは、本当に難しいですよね。

自分の中にある偏見や思い込みを剝がしていく作業は、1人ではなかなかできないですよね。ですから、この本を辞書的に使ってもらえるような工夫をしています。

二次被害を生み出していないか

第1章は新聞記事の実例を元にジェンダーの視点で見る表現と改善案をあげています。例えば、女子アナとか女医とか、女性ならではの視点という表現ですね。言葉狩りという批判もありますが、なぜそれがジェンダー表現としてふさわしくないのか、その背景や理由なども解説しています。

私自身もすごく迷いながら書きました。じゃあどうすればいいのかというのは、結構難しいですよね。もやっとした答えしかないんですが、一緒に考えて欲しいし、いい答えがあれば教えて欲しいです。

第2章はウェブ表現ですね。

性を意識した釣り見出しの問題ですね。クリックを無視したらビジネスが成り立たないという側面もあり、そこをどのように考えるか。また、ウェブでは性差別をあおるという事態もよく起こります。実際に訴訟に発展したケースの弁護士さんへのインタビューや、ウェブメディアへのアンケートなども載せています。

第3章の性暴力事件の報道については、メディアとしてもしっかり考えていかないといけないところです。

性暴力に対するゆがんだ見方というのは、ジェンダーの語られ方と共通する部分があります。例えば、薄着の季節に痴漢が増えるので、警察が防犯活動を強化するといった記事を見たことがあると思います。しかし、実際は薄着の季節だから痴漢が増えているというデータはないんです。何となくそうだろうと思われていますが、性暴力被害に遭ったのは、服装が悪かったという結論になりかねない。被害者の責任論につながります。

性被害の報道で「いたずら」という表現が使われたこともありましたが、これも被害を過小評価するものです。今でも、乱暴という言葉が使われることがありますが、性暴力被害では、これはレイプということなんですね。そういうメディア独特の表現が、被害を言い出しにくい状況を作ったり、二次被害を生み出したりしているのではないか。そうした点を識者に意見をうかがうなどして、考えています。

細かいところに本質は宿る

第4章は発信する側の構造の問題を取り上げています。「足をどかしてくれませんか。――メディアは女たちの声を届けているか」という本でも、例えば「保育園が足りず、復職できない」といったジェンダーによる不平等を現場の記者が指摘しても、それをチェックする意思決定者がほぼ男性だから、なかなかそういう声が広がらないという問題提起がされています。

やはり基本的にはメディアもまだまだ男社会です。もし、男女の比率が入れ替わったら、ニュースの優先順位もガラッと変わるんだろうなと感じることもあります。本当に必要なニュースを読者に届けられているのかということは、考えていかなきゃいけないと思います。

報道や広告などが、次世代にどういう影響があるのか、差別を再生産していないか、我が身を振り返ることは本当に大切ですね。

こういう表現をしてもまだ大丈夫なんだみたいなメッセージを、意図しないところで伝えてしまう可能性には気をつけたいです。読者は敏感に受け止めますし、私たちもアップデートして追いついていかないといけない。細かいことを言うなと言われがちですが、そういう細かいところに本質が宿っていると思います。

ジェンダー表現について考えるのは、誰かを糾弾したいわけではなくて、様々なことを振り返って欲しいということなんですね。みんなで考えていきたい。それを一番伝えたいですね。

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