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「女言葉」というステレオタイプ 言葉の性差は、変わりゆく

更新日 2021.12.17
目標5:ジェンダー平等を実現しよう
目標12:つくる責任 つかう責任

字幕表現の転機となった映画「ブラックパンサー」より© 2021 Marvel ディズニープラスで配信中

「だわ」や「のよ」などの「女言葉」が何度も使われる翻訳小説や映画の吹き替えには「そんな風に話す人本当にいる?」と違和感を抱く人も多いのではないでしょうか。社会を映し出す「言葉遣い」と性差について、朝日新聞オピニオン編集部の田中聡子記者とデジタル機動報道部の藤えりか記者が語りました。

※2人が出演したポッドキャストの抄録です。番組は記事の文末からお聞きになれます。

「女言葉とは、そもそも何ですか」

田中聡子記者

言語学者の中村桃子さんは、女言葉は作られたものだと指摘しています。女性にも喋り方は色々あるのに、一部の人の話し方が概念的に女言葉として定義されてしまったということなんですね。

「いつごろから登場するのですか」

起源は明治時代の女学生の「はやり言葉」だったようです。当時は、下品なイメージがあり、小説などでも「だわ」を使う登場人物は、あまり品行方正ではない女性だったようです。

藤えりか記者

時代をさかのぼると、室町時代に宮中の女性が使った「女房詞(にょうぼうことば)」が、江戸時代に語彙(ごい)を広げて、遊女の言葉と並んで発達したそうなんです。日本語は一人称や二人称をあまり言わないので、女性は「だわ」、男性は「だぜ」のように、語尾の使い分けが発達したという指摘もあります。

「女言葉は今は丁寧な言葉だったり、お嬢様が使う言葉だったりというイメージですよね」

そういう変化が起きたのは戦時中だと、中村さんは指摘しています。植民地の同化政策で日本語を教える際に、女性と男性で話し方が違う点が日本語の素晴らしさなんだと。その後、女言葉は女性らしさみたいなところに、どんどん結びつけられていったということのようなんですね

宮中生まれの女房詞なので、天皇制と結び付けて価値が強調されたということもあります。谷崎潤一郎の『文章読本』でも、男女の言葉の違いは「日本の口語のみが有する長所」と書いてあるんです。

「お二人はそれぞれ女言葉についてどう感じているんですか」

私が違和感があるのは、翻訳だったり、アニメの登場人物だったりで使われている時ですね。こんないい方するかなみたいな。

ちょっと前の映画の字幕でも、同じようなことは結構ありましたが、少しずつ変わってきてはいます。転機の一つと言えるのが、『ブラックパンサー』という映画で、女性の登場人物は、キャラクターに合わないことから、日本語字幕に女言葉がほぼありません。

役割語としての「女言葉」「男言葉」

映画と比べて対応が難しいのは文学作品などの翻訳です。翻訳家の方に伺った話ですが、例えば英語でキャサリンなら女性かなと分かりやすいんですが、英語圏以外の小説では名前だけだと、属性が分かりにくい場合があるので、役割語として「男言葉」「女言葉」を使っているということでした。

「海外の人を取材された時に、語尾を女言葉にしたことはありますか」

私は一切ありません。でも、過去には語尾を「だわ」にして訳した新聞のインタビュー記事なども見られましたね。

「役割語として付けるのは仕方がないという部分はあるんですかね」

やはり過剰にやると読みづらいというのはあって、限度の問題だと思います。男言葉も「だぜ」などあるのですが、相対的には少なくて、そういう語尾を付けられるのは圧倒的に女性です。女性語辞典を日本の国語学者が編纂(へんさん)したこともあるくらいですから。

今まで言葉遣いの話をしてきましたが、女性は言葉の数が多いということもよく聞きますよね。先日、問題になった森元首相の発言などもありました。

「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」

これは、世界的にも物議を醸しました。英語圏でも、少なくともアメリカでは、女性は言葉数が多いとずっと言われていて、例えば、夫婦でカウンセリングに行くと、妻が話しすぎるから夫が疲れていさかいが起きるみたいな感じで、解決の根拠として使われることがあります。そんなことはないと、言語学者がデータで論破していますけどね。

「女性脳の特性と行動(原題:The Female Brain)」という本で、女性は男性の何倍も言葉数が多いと書かれたことがありました。女性脳というタイトルも、それだけでざわっとしますが、これ女性の学者が書いたものなんです。これに対して、男性の言語学者が調査をしたら、言葉数に性差はなく、場合によっては男性の方が多いという結果が出たそうです。

私は話すのが苦手というコンプレックスがあるので、話は短くするんですよ。だから自分は長くない自信があります。ただ、色んな場面で、男性の方が話が長いと感じることが多かったです。

「こうしたもんだ」というステレオタイプが問題なのは、中身がない話を繰り返しするから注意を払わなくていい、色々言っているが気にするな、という口実を与えてしまうことです。結果的にそれは、偏見につながります。

「現状を打破していくには、どうすればいいと思いますか」

私は「女言葉」そのものには罪はないと思っています。むしろ自分に当てはめて考えると、たまに使う時って「冗談じゃないわよ」とか「ふざけんじゃないわよ」とか、ちょっとパワーを自分にくれる面があるなと感じています。

それで思い出したのが、「女子」という言葉は、長い間「女子力」とか「リケジョ」のように、女だてらに的な意味や女らしさみたいな意味で使われていたし、今も使われてるとは思うんですけど、少し取り戻した感じがあるんですよね。私たちいくつになっても「女子」だからみたいな。そういうポジティブな使い方を女性自身がするようになってきて、もしかしたら、女言葉も女性自身をエンパワーするような日が来るのではないだろうかと考えてはいます。

言葉遣いに関する違和感を考えることは、人種や性別、年代でくくって決めつけること自体をやめるきっかけとなる材料なのかなとは思います。私たちメディアも、「こうしたもんだ」という考えを広げないためにも、安易にそうした言葉を使わない意識が必要なんだと考えています。

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