私たちの編集部は、朝日新聞が発信しているコンテンツをSDGsの視点で幅広く紹介していますが、ポッドキャストには多くのSDGs関連のコンテンツがあり、11月1日から新番組「SDGs シンプルに話そう」もスタートしました。
朝日新聞ポッドキャストは2021年10月末時点で800本あまりの番組を配信していて、調べてみたら100本以上がSDGsに何らか絡んでいるんですね。ジェンダー、不平等、生物多様性などいろいろあります。
今の時代、どうしてもユーザーの興味関心がどんどんどんどん細分化されていってるんですけど、SDGsには17のゴールがあり、カバーしている分野もすごく幅広いです。その広い範囲をカバーするのに、新聞という媒体はとても合っていると思っています。神田さんはどう思いますか。
「SDGsは新聞とよく似ている」
SDGsって新聞とよく似ていると思うんですよね。言い方は悪いですが、正しいんだけど、ちょっとイラつくというか。そういう匂いを若干感じていたところがあって、SDGsには反感があったこともありました。
最近は、ちょっと考えが変わってきました。少なくとも僕が子どもの頃には新聞もテレビも「エコを大事にしよう」と言っていました。でもSDGsはこれまでに比べて圧倒的に、世の中に浸透しつつある。これって多分社会の側で受け入れ態勢が整ったということなんだろうなと思います。環境問題にしても貧困の問題にしても、そうした社会の流れに直面しているのは、やっぱり企業ですよね。倫理的にきちんとしないと、利益につながらない。これっていいなと思っているんですよ。
以前からSDGs的な発想を意識していた人の中には、今の状況に対して、疑問に思う人もいますよね。
そこは、僕はこう捉えています。ESG投資など、SDGs的に正しいことをやっていないと企業には投資も集まらないし、お金ももうからない。そうすると、そこには我々も関与できるわけですよ。そういう企業からは物を買わないという形で、よりダイレクトに社会を動かせる。だから人々の行動が振れ出したんじゃないかなと。

SDGsという言葉が日本でも急速に広まってきて、朝日新聞社が昨年末に行った第7回SDGs認知度調査では、東京・神奈川では初めて認知度が50%超えました。一方で、海外で暮らす人に聞くと、SDGs的な発想はすごくあるが、SDGsという言葉は知らない人が多くいるという話も聞きます。日本ではまず言葉が広まったものの、そこから行動につながらないジレンマに悩んでいる人もいます。認知度が上がればそれでいいという訳ではなく、やはり中身というか、よく自分ごと化と言いますが、そこは意識していきたいところですよね。
いまの世の中、やるんだったら正しいことをやりたいという気持ちは、多くの人に共通してあると思うんですよ。ただ、じゃあ何が正しいのかという物差しが、もう本当にまちまちになってしまっている。それが行き過ぎると、それこそSNSなんかでも見られるけれども、リンチみたいなことになってしまう。
「こうあるべきを乗せていく」
これだけグローバル化が進むと、あそこの村、ここの町だけで通じる規範ではどうもうまくいかない。そんな中で、国際的にこれだけはちゃんとやっていこうという決まり集のような感じでSDGsが出てきて、常識というか、一つのプロトコル(約束事)みたいなのができてきた。これは使い出があるなと思っているんですよ。
一方で、日本では「べからず集」みたいにSDGsが捉えられてしまうところがあって、もちろんダメなものはダメなんですが、それは前提としつつ、自分がこうあるべきなんじゃないかと思ってることをSDGsに乗せるのが大事ではないかと。
SDGsはたくさんのゴールがあるために、捉えにくい側面もありますよね。
曖昧模糊(あいまいもこ)とした部分があるから、不信感を抱いてしまっているという部分もあるのかなとは思います。でも、むしろそこを利用して、自分に見えているところを都合良く使うという考えでもいいんじゃないでしょうか。
たとえば、「ノウカノタネ」というポッドキャストをやっている福岡の農家「つるちゃん」こと鶴田祐一郎さんに出演してもらったことがありました。その時に、日本の野菜がめちゃめちゃきれいだという話になったんですね。地方に行くと、形の悪い野菜が山積みになって捨てられていたりするんですよ、売れないから。シュッと形が良くて、虫が食っていないものしか買わないんですよね。
手塩にかけて、コストもかけた野菜を捨てていいと思っている農家さんは恐らくいません。一方で、スーパーに並んでいる野菜を見て、同じ値段だったらきれいな方を選んじゃうのは人情だと思うんですよ。そこにSDGsを持ち込むことによって、むしろ汚い野菜を買うことの方が格好いいということにできるんじゃないか。そういう感じで使っていけばいいと思うんですね。
そういう、みんながモヤモヤしているけれどなかなか変わらないことを、変えられる可能性はあると感じています。