ファーストリテイリング財団が、日本に暮らす難民の子どもたちへの学習支援を全国に拡大する方針を打ち出しました。社会福祉法人「さぽうと21」や明治学院大の協力を得て、いまは小学1年生から大学受験生まで約60人が学んでいます。支援を続ける理由と課題を探りました。
「精神面の支えに」 シリア出身の女子学生
「勉強だけでなく、生活の悩みも聞いてもらった。この教室は精神面でも支えになった」。シリア出身のラーマ・アルディーンさん(20)は中学3年生の頃からファストリ財団などの学習支援教室に通いました。明治大学国際日本学部の2年生です。

内戦続きの母国を逃れ、日本人と結婚した叔父を頼って家族で来日。シリア人として初めて難民認定を受け、地元の小学校に6年生で編入しました。苦労したのは、「日本語、日本文化、お金」。教室や外国人支援団体の助けを得られたから、今日の自分があるといいます。「経験をいかし、子どもや困っている人に教育と福祉の分野で直接支援したい」。財団の柳井正理事長にも面会しました。印象を問われると、「優しくて、厳しい方です」。

柳井氏「難民は好んで母国を出たわけではない」
柳井さんは今般、難民支援への思いをメッセージに託しました。「難民は好んで母国を出たわけではない。日本に居住する難民の子どもたちに未来があることを感じさせたい」。柳井さんは「小中学校が未来を決める大事な時だと思う」としています。その上で、「だからこそ基礎教育をしっかり学べ、高校や大学進学をめざせる教育支援を実施している」と述べます。
カジュアル衣料「ユニクロ」を傘下に持つファストリは2006年からUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)と連携。11年には「グローバルパートナーシップ」を結び、難民への衣料品提供や職業訓練、雇用確保に取り組んできました。

学外の公的支援なく経済苦 進学困難な子ども
一方、難民の子どもたちへの学習支援は16年、柳井正財団が始めました(18年にファストリ財団が設立され、業務を移管)。義務教育課程の子どもには学校外の公的支援制度がなく、経済的な理由などで学習塾に通えない子が大勢いることが背景にありました。日本語を使いこなせず、学力が著しく低い子は、全日制の高校への進学が厳しかったのです。

16年から学習支援 大学合格者も誕生
そこで、日本語と各教科の両方に対応した支援策で全日制高校をめざし、難民の子どもの将来の選択肢を広げることを目標にしました。16年からは毎週日曜、東京・錦糸町で開かれる学習支援教室の運営費の2/3を支援。夏休みには「集中学習支援教室」を開き、明学大の学生らが指導にあたってきました。家庭でも学習習慣を定着させるように努めたところ、19年春に大学と全日制 高校の合格者が4人ずつ誕生しました。
同年、神戸・長田区にも教室を開設。財団は進学校への合格に目標を切り替え、翌20年からオンライン学習も毎日始めました。国内外から100人以上のボランティアが加わり、対面との「並行学習」が可能になりました。21年春にも大学に4人、高校に4人(そのうち進学校2人)が合格しました。
ミャンマー出身者が多数 民主化運動の余波
いま、約60人の受講生はミャンマー出身が多く、小学生が半数超を占めます。「さぽうと21」のコーディネーター、矢崎理恵さんは「1988年の(『8888』と呼ばれる)民主化運動以降、日本に逃れた人が日本で結婚し、その子どもが教室に関わっている」と話します。当時の独裁政権に反対するミャンマー民主化運動では数千人ともいわれる市民が犠牲になりました。その余波が教室にも及んでいるといえます。約60人の生徒のうち、人道的な配慮で特別に在留が許可された人が26人います。

支援教室を拡充へ 難民ニーズの把握が課題
教室は利用者が増え、合格実績を重ねてきました。今後は全国で支援を展開する考えです。ファストリ財団の石田吉生事務局長は「6年やって(運営の)知見が得られた。その知見をいかし、全国に事業を広めていきたい」と語ります。ただ、課題も感じているそうです。
「どの地域に、どれくらいの難民がいるのか。各地でどんなニーズがあるのかが分からない。各地の状況やニーズを把握し、教育支援を行うのに適した団体と連携する必要がある」
助けを待っている難民の子どもは少なくありません。課題を乗り越えた先に、明るい展望がひらけると期待したいものです。