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枠を超えた対話の場づくり プロデューサーの林田暢明さん【ソーシャル数珠つなぎ】

更新日 2022.02.02
目標8:働きがいも 経済成長も
目標11:住み続けられるまちづくりを
目標17:パートナーシップで目標を達成しよう

特別編はアップしたものの、その次への数珠つなぎがとまっておりました。お待たせしました次の数珠。ゆっくりゆっくり、でも確実につないでまいります。
 
この仕事をして、いろんな人に会い続けて二十数年(うっく)。思うのです。境界を超えるところにイノベーションや何か新しくてイケてて社会を変えるようなものが生まれる、と。たとえば異業種の人たちが出会う時。たとえば役所の人がNPOや民間企業と手をつないで何か政策をしようとする時。そして同じ一人の人でも一つの分野に専念するのももちろんいいけれど、何か複数のことにチャレンジしたときに、新しい視点やひらめき、アイデアが生まれることがあるのではないかと。今回お話をうかがった林田さんはまさにそれを実践しています。
 
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お話を聞いた人…林田暢明さん
プロデューサー。1977年北九州生まれ。日本銀行、松下政経塾を経て福岡に「TAO CAFE」をオープン。まちづくりの支援やファシリテーターの仕事多数。昨年8月にはベトナム・ホーチミンにカフェ「UTAKATA BAR」を開く。福岡放送「めんたいワイド」のコメンテーターも。

北九州工業地帯で生まれ育って

生まれ育った北九州は、僕が小学生だった80年代はまだ多くの企業の工場があって、栄えていました。「北九州工業地帯」です。祖父は新日鉄、父は三菱化学に勤めていて、もちろんそれらの工場もありました。地元のJR(当時は国鉄)黒崎駅前の商店街はもう人混みがすごくて、週末なんて人にぶつからないと歩けないくらい。今はもう人もあまり歩いていなくって、寂しい限りですけどね。
 
背が191センチと高く、高校まではひたすら剣道に打ち込んでいました。ふと高3の時に自分の進路をどうしよう、と思って、「剣道をやめて勉強します!」と宣言して受験勉強を始めました。一浪して下関市立大の経済学部に合格。

社会の役に立ちたいと大学生で起業

反動で今度は遊びまくり、1年生の時に取った単位は七つだけ。で、さすがに勉強しようかと「経済政策論」を取ったんです。今は立教大の教授をしているアンドリュー・デウィットさんが当時は下関市立大の准教授で、「経済とは経世済民、すなわち世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと」と話してくれました。素直に感動して、何か社会の役に立つことをやろう、と決心したんです。
 
当時ベンチャーブームだったこともあって、会社を二つ、市民活動団体を一つ、作りました。会社の一つは大学在学中につぶれたけど、もう一つはホームページ作成代行の会社で、途中から友人に社長をやってもらっていろいろ展開、最後はシステム制作会社になって、2016年に売却しました。そして市民活動団体は知的障害者の支援を。軽度の知的障害の人にパソコンを教えて就職を支援しましたよ。その後NPO法人となって、こちらは2014年に活動を終了しました。
 
ベンチャーをするのだから、と、噂を聞いて山口大学の「ベンチャービジネス論」の授業を受ける機会がありました。講師はフェアトレードや市民バンクの活動など、日本の元祖社会起業家ともいえる片岡勝さん。友達と3人で一番前に座って聞きました。片岡さんは「社会活動論」も教えていて、その授業も受けました。片岡さんからは地元北九州の中小企業の社長を、今でいうメンターとして紹介してもらったこともあります。

日銀に就職、景況の最前線へ

大学卒業後は日銀に就職しました。本当は大学院に進学を希望していたのですが、ゼミの教授から「お前は学問で食っていく頭じゃないから、勉強しながら働けるところに行け」と日本銀行を紹介されました。それでは、ということで就職活動は日銀一社だけだったのですが、合格してしまった。開学以来初めてのことで、地元紙に取り上げられたんですよ(笑)。日銀ではまず本店で研修をしてから、岡山支店に配属になりました。今はどうなっているか分かりませんけれども、当時、強烈に覚えているのは、席次表があったんですけど、それぞれの名前の下に()があって、出身校が書いてあること。高卒の方の名前の下にはその高校の名前まで書いてあって、すごいところに来たな、と思いましたよ。
 
岡山では、前回登場した森山さんの経営していたカフェバー「サウダーヂな夜」の常連でね。いろんな人が来ていて出会いがあって対話があって。このときの経験が後に影響します。
 
当時は日本の経済状況が悪くって。岡山県の景気調査をしていたんですが、瀬戸内工業地帯の中心地の一つにもかかわらず、企業の業績が本当に良くなかった。そんなとき、思い立って地元選出のある大物政治家のところに行ってみたんです。岡山って大物政治家が多くって、橋本龍太郎さん、平沼赳夫さんとか、江田五月さんとか、政治が身近にあるっていうんでしょうかね。その頃、調整インフレ論を主張している政治家がいて、現場の景況を最前線で見ている者として、勝手だなあ、許せない、って思っていたんですよ。
 
それで、その政治家と直接お話することができたんですけれども、調整インフレ論は許せないですよ、とか熱く語っていたら、「あなた松下政経塾に行きなさい」って。これが運命の大展開で、それなら、ということで応募したら合格してしまって、もう後には引けないから入塾したんです。

福岡でカフェオープン、コミュニティーの核目指す

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当時3年制だったんですが、2年半たったところで2005年に福岡にカフェを開きました。今も続いている「TAO」です。商店街の3階にあります。岡山の「サウダーヂな夜」にも影響を受けて、コミュニティの核になるものを作りたかったんです。まちづくりのプラットフォームになるものが日本にはないと思って。人が集まってきて何かを生み出し、人材を輩出する、そんな場です。
 
店名の由来は、松下政経塾の創始者、松下幸之助さんの直筆の書が政経塾の寮の各部屋にかかっていたんですね。書道の「道」。それからもう一つ、Total Asian Organizationの略でもあります。お店を開いたとき、いつかアジアを一つにするぞ、と思ったんです。人と人が顔を合わせ、手をつないで作業を積み上げていく。そういう場を作りたい、って。
 
オープンしてから最初の1年間は、イベントを180回はやっていましたね。今の学生スタッフは、月1回イベントをするのがノルマになっています。一番人気があったのは競馬ならぬ「競人」です。馬じゃなくて人が競走する。商店街の前の大通りを2往復半。お金をかけるとばくちになっちゃうのでドリンクチケットで還元にしてね。それを実況中継したんですが、120人集まる人気イベントでした。堅いところでは歴史や経済史の勉強会なんかも。
 
お店のかたわら、知的障害者の支援のNPOをやったり、厚労省から委託を受けてソーシャルビジネスをやる人材育成の教室をしたり。人が幸せになる仕組みを作りたかったんですね。

ファシリテーションを仕事に

2011年4月から妻が東京に転勤になって、福岡と東京、2拠点生活が始まります。僕が東京にいる間は、子どもの保育園の送り迎えは僕が担当しました。でもその合間にすることがない。それでフェイスブックで「10時~14時まで東京で仕事をしたいと思っています。給料はいくらでもいいですが、月の半分は福岡です」と呼びかけた。すぐ反応があって、ある財団から人材育成支援の事業を手伝ってほしいと依頼がありました。そこからどんどん転がっていっていろんな仕事に声がかかるように。人材育成支援やまちづくり、ファシリテーターの仕事が中心ですね。
 
一つの仕事が次の仕事を連れてくる。お金を稼ぐ能力って「運」だと思います。仕事やお金があるコミュニティーに入れるかどうか。それに入れるかどうかは、一度仕事をもらったときに、信用を作れるかに尽きると思います。納期を守る、約束の時間には相手よりも必ず先に行く、そんな小さなことの積み重ねです。僕はノーギャラの仕事でも、お世話になった人から頼まれたり、面白いと思ったりしたら行くことにしています。するとそこに出会いがあって、次につながることがある。
 
ファシリテーションの仕事って、対話を促進して合意形成につなげる。みんなが納得に近づくためのプロセスをデザインすることだと思っています。目の前の問題で意見が違っても、上位概念、より大きな問題ってなんだろう、ゴールって何だろう、って考えると、共通の目的が見えてくることが多い。

場があれば何か生まれ、人々は活性化する

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2018年8月にはベトナムのホーチミン、サイゴン川のほとりにバー「UTAKATA BAR」を開きました。10月にオープニングパーティーを開催したのですが、SNSの告知だけでも30名近い人にお越しいただき、その中には、早稲田大学を卒業してベトナムで日産2万丁の日本式豆腐を販売するカオ豆腐店のカオ・ミンケンくんがいたりと、すでにいろんな人が集まってきています。また、日本企業との出会いのセッションができないか、就活セミナーができないか、とか新しい企画も話が始まっています。場があると、何かが生まれる、そこにいる人たちが活化されていくんですよね。
 
また福岡ではテレビ西日本の報道番組や、この4月からは福岡放送のワイドショーのコメンテーターをさせていただいたり、地元の北九州市立大学ビジネススクールで特任教員もしたりしています。これからも枠を超えて対話の場をつくっていきたいと思っています。
 
林田さんが紹介します…森ガキ侑大さん。新進気鋭のCMディレクターにして映画監督。「出身の広島への愛が強く、尾道で古民家の再生宿にしてクリエイターの拠点『クジラ別館』をスタートさせたばかりです!」

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writer:秋山訓子

朝日新聞編集委員

92年入社。政治部、経済部、アエラ編集部、政治部次長などを経て現職。政治を中心に、NPOや社会企業など幅広く取材。かわいい好き。後輩の加地ゆうき記者が描いてくれたこの似顔絵、めがねが私です。 秋山記者の他の記事はコチラ!

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