はい、ごめんなさい、またまた季節は流れて冬に…、でも読んでくださっているみなさん、本当にありがとうございます。ゆっくりゆっくりではありますが、数珠つなぎしていきますよ。
さて、わたくしめ、本来はというか何というか、政治を主なフィールドとする記者であります。政治、っていうと、なんだか遠い、自分に関係のないこと…ってついつい思いがちな人、多いと思うんですが(かつてのわたくしめもそうでありました)、いやそんなことない、政治って本来身近だし、日常生活にすっごく関係あるし…、って思うんです。もちろん、政治もソーシャルですよね。というわけで、今回はこの欄始まって初めての政治家さん、岡山市議の森山幸治さんです。しかも経歴が変わっていて…もともとはバーやカフェを経営していた、っていう人です。
(上の写真は、かつて森山さんが経営していたお店)
お話を聞いた人…森山幸治さん
カフェやバーを岡山市内で経営し、音楽イベントなどを手がけていたことから、音楽フェスやまちづくりの活動にも参加するようになり、それをきっかけに政治の世界へ。2011年に岡山市議に初当選し、現在2期目。まちづくりや障害者政策にも取り組む。「マチナカギカイ」と題して、みんなで集まって日常の問題などについて議論する会を主催。
原点は大学生の時に働いたDJバー
岡山市で生まれて小2から広島で育ち、大学で岡山に戻ってきました。小さい頃の社会とのかかわりで覚えているのは、両親の出身が熊本県の水俣市で…、そう、水俣病の悲劇があったところです。教科書で水俣病の写真を見て、驚いて恐怖を感じていたわけですが、特急電車で水俣駅につくと、目の前に(水俣病の原因となった)チッソの工場があって、えも言われぬ化学薬品の臭いがするんです。これは忘れられない思い出ですね。
それから話は飛びますが、自分の原点というのは大学生の時、20歳の頃に働いた倉敷市にあったDJバーです。僕はお酒がのめないんですが、当時、ジャパニーズヒップホップがはやり始めたころで、そのバーの選曲が大好きで。お金もないから杏露酒(シンルチュウ)一杯で4時間粘る、みたいな(笑)。で、毎日通っていたら、マスターに「働かないか」と声をかけられて。「お酒のめませんよ」って言ったら「のめないからいいんだ」。それで目が開いたというか、へえ、そんな考えも許されるんだ、世の中にこうじゃないといけない、というものはないんだ、って思わされたんですね。
その店にはいろんな人が来て。政治家も学校の先生もやくざっぽい人も。でも、お店に入ってカウンターに座ったらみんな一緒なんですよ。先入観なくつきあえる。同居できるんだ、これがリアルなんだ、って思ったんですね。
そうこうするうちに自分でお店を出したくなって、独立しました。洋服が好きだったんで、昼はブティック、夜はバーで、お茶も出してましたから今で言う夜カフェの走りですかね。もちろんDJブースもあって、自分でもプレーしたし、東京から有名なミュージシャンにもたくさん来てもらいました。はやりまくって、週末には人だかりがすごかったです。
「障害は社会にもあるのでは」と感じた
そんなふうに楽しく過ごしていたんですが、30歳を前に、商工会議所の知り合いからまちづくりを一緒にやらないかと声をかけられまして。日銀の跡地でイベントをしたい、ということだったんですね。それで初めてNPOを知りました。非営利の活動なんていうものがあるんだ、面白いなあと。それから昼の世界にも進出、というわけではないですが(笑)、まちづくりのイベントもやったりして。
その頃再婚して、長男が生まれたんですけど、24週で800グラムでこの世に生を受けました。何年生きるかわからない、って最初言われました。今も知的障害があります。見た目はわからないですけどね。
自分の子どもを通じて、発達に障害のある多くの子どもたちに出会いました。こういう子たちって、感性がとっても繊細で豊かだったり、エネルギーに満ちていたりして、磨けば光るんです。でも、今の日本だとそういう場がなかなかない。子どもたちの可能性を閉ざしてしまっているように思えました。障害は社会にもあるのでは、と感じたんです。
政治の世界に踏み出した2011年
その頃、政治の世界に声をかけられまして。まちづくりをやっていたりすると、政治とかかわりが生まれますよね。僕は、政治を楽しくやってみたいと思いました。面白さの中に正しさがある、というのが信条なんです。でも今の政治はどうもそうなっていないから、だったら自分でやってみようと。それに、暮らすことって政治とつながっていると思うんですよ。2011年の市議選に出ました。政治の世界に踏み出すときには、さんざん誹謗(ひぼう)中傷を受けましたよ(苦笑)。「分不相応」とか。お店から離れていってしまった人もいますしね。
選挙活動は面白くやりました。選挙ってお祭り、いってみればフェスだと思ったんです。選挙運動するときも、選挙カー、じゃなくて「選曲」カーと名付けて、音楽流しながら街を回って。商店街を通るときには、自分で演説ならぬDJみたいに「このお店はこれがおいしいんです」なんて流したりして。ママさんたちとお子さんが遊んでる公園では、「森のくまさん」とか童謡を流したりしてね。バーテンさんとか、居酒屋で働いている若い人たちが深夜勤務を終えて、そのまま朝一緒に看板もって橋に立ってくれたりしました。すごく活気があったと思います。泡沫(ほうまつ)っていわれていたけれど、大震災があって、何か空気も変わった感じがあって、最下位で当選しました。
(2015年の選挙で使った事務所開き用のポスター)
マチナカギカイって言って、社会のこと、暮らしのこと、何でもみんなで議論しようという会をやっています。ドリンク代は500円です。有料にしたほうがいいんじゃないかという気がして。
自民党から共産党まで30代の市議全員に呼びかけて、カフェで議論をしたこともあります。議会初でした。お客さんは50~60人来たかな。共産党の人は詩吟をやっていて、それを披露したいからと和服で来ました(笑)。「動く市議」を見せて、意見を交わすだけでも意味があると思ったんです。
市議としても廃校の活用を進めていて、実現したものもあります。あと、公園の整備や、多様性ですね。そういう政策に力をいれています。市議会でよく質問します。
2期目の選挙では事情があって選挙区を変えるという前代未聞のことをしたんですが、当選することができました。やはり選挙は面白く!やりたいと思って、ビートルズのアビーロードの有名なアルバムジャケットがありますよね、4人が並んで横断歩道を渡っているところの。あれを真似(まね)たポスターを作りました。「ポスターかっこいいから送ってください」と全然選挙区じゃない人から言われたこともあります。
(2015年の選挙で使った『アビーロード』を模したポスター)
多様性から、新しいものが生まれていくと思う
最近開催したのは、知的障害者や全盲の人たちが出演するファッションショー「オールライトファッションショー」、それからハンセン病の療養所である長島愛生園で絵本の朗読やボサノバのギタリストが演奏をするフェス「長島アンサンブル」もしました。長島アンサンブルでは、ヒットした映画「この世界の片隅に」を上映して、主題歌を歌ったアーティストコトリンゴさんを招いてライブをしてもらいました。これまでの人脈が生きたんです。
そんな僕ですが、市議会で浮いてると思うでしょ?(笑)。いやいや、全会派の皆さんとお茶します。そういう意味でもすごく珍しい存在だと思います。だって、話してみたいじゃないですか。意見が違う人とこそ、どうしてそう思うのか聞いてみたい。
DJでプレーしているとね、フェードアウトとフェードイン、音楽が終わるときと始まるときが重なり合う。違う曲が混ざり合って、新しい何かが生まれる。それがたまらなく好きです。社会もそういうものじゃないでしょうか。いろんな人たちがいて、いわゆる多様性ですが、それで新しいものが何か生まれていく、そう思うんです。DJ議員、です。
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「バーを経営しながら、総務省の仕事をしていたりします。肌感覚で、街場の経験を国の仕組み作りに生かして、境界を超えている人です」
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