【コラム】 from Kenya
みんな同じ空の下①
ケニアで障がい児とそのご家族を支援する「シロアムの園」の園長で小児科医の公文和子です。約10年間、この国でエイズの感染率の低下などに心を尽くしました。一方で、数字には表れない「命の質」の問題を考えるようになった時に、障がい児との出会いが与えられました。そのキラキラした笑顔の背後にあるたくさんの困難を知り、2015年、シロアムの園の開設に至りました。ちょうどSDGsが始まった年です。子どもたちの「持続可能な」笑顔を見たい、子どもたちと共に生きる社会をみんなで作っていきたい。そんな思いでケニアの障がいのある子どもたちとご家族と共に生きています。
最初に感じた違和感
アフリカの健康問題と言えば、エボラやマラリアなど熱帯特有の感染症、水衛生問題による下痢、栄養失調などを想像される方が多く、「なぜ障がい児?」と思う方もいらっしゃるでしょう。私自身も、医者としてアフリカに行こうと思った時に、まずはイギリスで「熱帯小児医学」という学問を学びました。それなのに、なぜ今、私はケニアの障がい児と共に生きているのでしょうか。
SDGsは、目標3で「すべての人々に健康と福祉を」を掲げ、「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)」が重要なキーワードとなっています。世界保健機関はUHCを、(1)すべての人々が(2)必要とする保健サービスを(3)支払いの際に経済的な困難に苦しめられることなく(4)確保している状態、と定義しています。日本は隙間があるとはいえ、国民皆保険制度があり、長寿の国として、世界のUHCに対する役割はとても大きいと言われています。しかし、アフリカがこのUHCを目指すということは、本当に現実的なのでしょうか?

私は2002年からケニア共和国において、様々な保健医療分野の仕事に従事してきました。最初の10年はエイズ、結核、マラリアなどの感染症コントロールが中心で、その間、こうした感染症に関するデータはぐんぐんと改善していきました。ところが、ある時、当時働いていたクリニックで、あれっと思うことがありました。それは、スーツを着て仕事を抜け出して受診するエイズ患者さんの医療費はただなのに、その横で、ぼろぼろの服をきて肺炎で苦しそうにしている子どものお母さんは医療費が払えなくて困っていたのです。その当時、大きな問題となっていたエイズに対する外国からの援助のおかげで、エイズ患者さんはただで医療を受けることができるようになったことが、逆に医療格差を生み出していたのです。命の優先順位を決めるのは誰なのだろう…。そんな矛盾を感じていた時に出会ったのが、障がいのある子どもたちとその家族でした。
エイズで亡くなった母親
5歳だったヒラムは、おばあちゃんといとこたちと暮らしていました。ヒラムのお母さんはシングルマザーで、ヒラムが2歳の時にエイズで亡くなり、いとこたちのお母さんも同じようにエイズで亡くなったため、おばあちゃんは残された孫たちを、一人で育てなければなりませんでした。その中でも、脳性麻痺で、てんかんのあるヒラムを育てるのはことさら大変でした。孫の障がいに対する知識もなく、薬代どころか生活費すらままならず、周りの人からの助けも少ない。そんな境遇に置かれながらも、おばあちゃんは一人で一生懸命頑張ってきたのです。

やはりその頃に出会ったクライドは、生まれた時に産声を上げることができなかったために、脳に酸素が送られず、重度の脳性麻痺になりました。当時12歳だったクライドの体はすでに大きく、手足も大きく曲がっていました。バスに乗ることはもちろん、抱っこすることすら難しく、ほとんど家で過ごしてきました。そのクライドが初めて私の診察室に入ってきた時の素晴らしい笑顔を、今でも覚えています。
私はそんな子どもたちと出会って、恋に落ちたのです。もっとこの子たちの笑顔と一緒にいたい、そうして始まったのが障がい児とご家族への支援事業「シロアムの園」です。