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1億円の借金を解消した「勝手にチームワーク理論」 28歳で会社を継いだ私の経営とは

更新日 2022.11.12
目標8:働きがいも 経済成長も
目標17:パートナーシップで目標を達成しよう

コラム】 from Canada

エシカルのその先へ

国産ニット帽子ブランド「ami-tsumuli (アミツムリ)」デザイナーの寺本恭子です。28歳の時に、祖父から老舗の帽子メーカーを引き継ぎました。2004年にはブランドを立ち上げ、ファッション小物の国際展示会であるパリのプルミエールクラスでデビュー。エレガントで高品質なニット帽子と国内外で評価されましたが、その後、アパレル素材の背景に隠れたストーリーを知り、「良いモノづくり」の定義を見直しました。「真のラグジュアリーとは何か?」をカナダに移住した今も追究中です。

○と△どちらが生産性高い?

突然ですが、会社の経営をイメージしてください。△、○どちらのやり方が生産性は高いでしょうか?

△は、ピラミッド型の組織による経営です。トップの指示を受けた部下が、またその部下に指示を出し、指示を遂行することがおのおのの目標になります。人々はピラミッドを登るために、上に課されたノルマを達成し、互いに競争し、そのエネルギーが、組織の活力を生み出します。

○は、役割の違う人たちが、チームワークで、同じ目標に向かいます。お互いをリスペクトし、絶対的な上下関係はありません。競争よりも協力のエネルギーが、組織の活力を生み出します。

「○の経営は理想的だけど、生産性を上げるには、やっぱり△の方が現実的」と思う方も多いことでしょう。確かに、やってみないと分かりませんね。今日は、帽子デザイナーである前に、一経営者だった私の体験談をシェアいたします。

私が、祖父の会社を継いだのは、1997年、28歳の時です。後継だった父が急逝したため、経営とは何かも知らずに飛び込みました。会社はバブル崩壊後から赤字が続き、一億円の借金がありました。スタッフは五人。皆それぞれに、うっぷんをためていました。そんな会社を黒字転換するためには、「何か」を変える必要がありました。

大小さまざまな改革をしましたが、私が時間をかけて一番大きく変えたのは、会社の構造そのものでした。スタッフの在り方を△から○に変えたのです。一人一人が自分の手柄を競い合うのではなく、同じ目標に向かう中で、自分の役割は何か?自分に何ができるのか?を自ら考える雰囲気になりました。一人一役とは限りません。「明るいムードメーカー」とか「聞き上手」なども立派な役割です。社内の風通しがよくなり、スタッフに自信と笑顔が戻りました。私自身も「代表取締役」「営業」「デザイナー」という役割を担ったスタッフの一人であり、他のスタッフとの立場は平等という認識でした。売り上げはV字回復し、一億円の借金は順調に減っていきました。

私はその○の概念をスタッフとも明確に共有するため、「勝手にチームワーク理論」と名付け、理論を紙に書いて、大まじめに説いて回っていました。

「この社会は、『より良くなる』という目標に向かう、一つのチームです。同業他社であっても、ライバルではなく、チームメートです。下請け業者もクライアントも、チームメートです。相手が何と思っていようと、大切なチームメートだと『勝手に』思いましょう。チームメートをリスペクトし、チームのために、今自分がやるべきことを見つけ、一生懸命やることで、社会全体がより良くなることに貢献していきましょう」

この「チーム」の概念は、必要に応じて、マクロにもミクロにも応用できます。会社組織、業界、原料メーカーから販売員までの流れを一つのチームと捉えることもできるでしょう。

協力関係でつながる

大切なのは、他者を信頼し、任せられることは任せ、自分ならではの仕事を一生懸命やることで、チーム全体がより良くなることに貢献しているというイメージです。そして、チームメート同士は、上下関係や競争関係ではなく、協力関係でつながっているという意識です。

スタッフの人数も増え、営業は私を含めて四人になりました。自分の担当の取引先に対し、デザイン提案からサンプル作り、大量生産の生産管理まで責任を持って行いますが、良かれと思ってデザイン提案した試作品が、受け入れてもらえないこともあります。

そんな時は、「これ、私のクライアントには気に入られなかったけど、あなたのクライアントに活かしてもらえるかも。よかったら使って」と、別の営業に託します。日頃から営業成績を争わず、互いに信頼しているチームメート同士だからできることなのです。

心の余裕が生む創造力

下請けの職人さんも、チームだと思うと、単なる利益追及のための値段交渉をする気が起きません。生活も潤い、心の余裕ができてこそ、新たな創造力が生まれてくるのは、みな同じです。

その結果、職人さんたちはますます協力的になり、自ら新しい編みのテクニックを考えては提案してくれたり、短納期の大量生産も、決して手を抜かず、素晴らしい仕事をしてくれました。自然と、私たちと下請け職人さんは、仲間意識でつながっていました。△の経営も○の経営も、メリットとデメリットがあります。

それでも、こんな経営未経験者の私が、赤字会社をV字回復させ、一億円の借金を全額返済できたのは、○の経営を意識したからだと確信しています。当時は、かなり珍しい経営概念でしたが、様々なピラミッド構造が崩れつつある今、○の経営概念は、汎用性が高まっている気がします。私の経験が、一つの小さな事例として、参考になれば幸いです。

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①ママ友の言葉で始まった「良い素材」を知るための「旅」 自分の目で見て考え続けた10年
②「ハッピーホリデーズ」が教えてくれた多様性 勘違いだった「日本人VSカナダ人」のバトル
③薄紙で「クシュクシュ」と布で「お弁当包み」 日本を離れて感じた「包む文化」の魅力と戸惑い
④「私、ベジタリアンなんです」と言ったら、どう思いますか?お肉を食べなくなった6年で考えたこと
⑤ウクライナ人とロシア人の友だちがいる私 戦争のない未来「イメージ」する力
⑥先祖からの愛のバトン「継承語」 カナダで寺子屋を始めて気がついたこと

writer:寺本 恭子

国産ニット帽子ブランド「アミツムリ」デザイナー

東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、新卒で入社した銀行を2年で退職し、大好きだった洋裁を学ぶために、東京田中千代服飾専門学校デザイン専攻科へ。卒業後は、オートクチュール・ウエディングドレスデザイナー・松居エリ氏に師事。28歳のとき父が急逝したため、母方の祖父が経営する老舗ニット帽子メーカー吉川帽子株式会社を受け継ぐ。2004年にニット帽子ブランド「ami-tsumuli(アミツムリ)」を立ち上げ、同年にパリの展示会でデビュー。2014年からカナダ・モントリオールへ移住し、サステナブルな視点を生かしながら創作を続けている。

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