【コラム】 from Canada
エシカルのその先へ②
①ママ友の言葉で始まった「良い素材」を知るための「旅」 自分の目で見て考え続けた10年
国産ニット帽子ブランド「ami-tsumuli (アミツムリ)」デザイナーの寺本恭子です。28歳の時に、祖父から老舗の帽子メーカーを引き継ぎました。2004年にはブランドを立ち上げ、ファッション小物の国際展示会であるパリのプルミエールクラスでデビュー。エレガントで高品質なニット帽子と国内外で評価されましたが、その後、アパレル素材の背景に隠れたストーリーを知り、「良いモノづくり」の定義を見直しました。「真のラグジュアリーとは何か?」をカナダに移住した今も追究中です。
日本からのお客様ではない
「多様性を受け入れる」というと、どんなイメージを持たれますか?
様々な文化の融合、あるいは、自分と違う習慣に対し違和感を感じても、それを容認するイメージでしょうか?
私の住むモントリオールは、カナダケベック州にある人口約400万人の都市です。秋の紅葉、冬の大雪、春のメープルシロップ収穫、夏のジャズフェスティバルなどでも知られている一方で、世界各国からの移民が共に暮らしているインターナショナルシティーでもあります。
移住を決意した当時は、モントリオールに行ったら「日本人VSカナダ人」といった構図の中に生きるのだろうと覚悟していました。早くなじめるように、努力しなくては……と。
ところが、私が「カナダ人」と思っていたのは、先住民族を含め、イギリス系・フランス系移民を中心に、ヨーロッパ、旧ソ連、アフリカ、中東、南米、アジアなど、世界各国からやってきた人たちの集合体であることが分かりました。そして、それぞれが固有の文化を受け継ぎながらも、互いにうまく共存している姿がとても新鮮でした。
自分も日本から来たお客様ではなく、日本の文化を受け継いでいる1人の住民であり、コミュニティーを形成している、小さいけれど大切な存在である、と自覚できたのは、移住して半年ほど過ぎたころでした。自分自身が「多様性」の内側にいる心地よさを実感した瞬間です。

ただ「多様性」は、常に心地よいとは限りません。
「後ろに行列ができてるのに構わず店員さんとお喋りする人達が理解できない」「女性の普段着がカジュアルすぎて、みっともない」「こんなにプレゼントにお金を使う文化はおかしい!」などなど、母国の常識と違うことに憤りを感じる人たちとも、出会ってきました。そんな中、モントリオールで心地よく生きるためには、コツが必要なのかもしれないと考えるようになりました。
その一つが「違いを楽しむ」ことです。
モントリオールでは、日本人の私は人種的にマイノリティーで、自分の意見を堂々と伝えることに、最初は抵抗がありました。それでも、正直な気持ちをしっかり伝えることでコミュニケーションがうまくいく経験を重ねるうちに、「違い」を表現するのは実はとても楽しいことだと思えるようになりました。
「恭子はどんな体形が目標?」
先日も、そんな経験がありました。新しく出会ったモルドバ人のワークアウトの先生から「恭子はどんな体形が目標?」と聞かれ、「私は、私のままで満足しています。他の誰かみたいになるために頑張るのは好きではありません」と正直に答えました。すると、先生は私の答えが新鮮だったようで、私のライフスタイルにまで興味を持ち、その後、他のメンバーに私が日本食のレシピを教えるワークショップまで企画してくださいました。
「自分が違うことを楽しむ」とは、自分の個性を否定しない勇気から始まるのかもしれません。
「違いをジャッジしない」という姿勢も大切です。
カナダの国教はカトリックですが、もちろん他にも色々な宗教を持った人たちがいます。また、LGBTQやヴィーガンなどの考え方もあります。相手の宗教や思想を完全に理解できないのは、お互い様ですが、良しあしをジャッジせずに、「ああ、そうなんだね」と、相手の選択を認めることはできるはずです。相手の存在を否定しない態度は、究極の優しさだと、私は思っています。
少々逆説的ですが、しっかりとした自分の「軸」を持てば、相手の立ち位置も許容できて、多様性を享受できるようになるものなのです。そしてそれは、さらに逆説的ですが、ワンネス(一体感)につながっていきます。
多様な考えを持つ私たちですが、ワンネスを意識することで、多様性の中で、本当の意味で心地よく生きていくことができると、私は日々の生活の中で体感しています。

黒鉛筆の中に、一本だけある赤鉛筆は、「違う」存在に見えます。でも、色鉛筆セットの中にある赤鉛筆は、一つの「個性」を持った存在となります。それぞれの色に優劣はなく、あるのはコントラストだけ。そのコントラストこそが、多様性なのだと思います。
全ての「違う」色が集まって織りなす、美しいカラフルな集合体が、ワンネスです。全ての色を混ぜ合わせ、一色に塗りつぶすことがワンネスではないし、それを許容することが「多様性を受け入れる」ことではないと、私はモントリオールに住んでみて、確信しました。
意外かもしれませんが、ここでは年末の街のデコレーションに「Merry Christmas」の文字はあまり見かけません。年末年始の祝い方は人それぞれなので、相手がクリスチャンかどうか分からない限りは、「ハッピーホリデーズ」と声を掛け合うのが一般的です。
「それぞれの伝統や考え方に基づいて、好きなように楽しく過ごしてくださいね」と、違いに対する寛容なメッセージが込められている気がして、私はこの言葉が大好きです。
この冬も、私は日本やり方で大掃除をし、お正月をお祝いすることでしょう。もしもお節が上手にできたら、他の文化の人に紹介するかもしれません。今まで、何人もの友達がそうしてくれたように。