「皆さんご無沙汰ですね。ほぼ100年ぶりというところでしょうか。
昔、『夢十夜』という小説のなかで”100年待っていて下さい。きっと会いに行きますから"というセリフを書いた覚えがありますが、100年待っていていただいてありがとうございます」
まるで人が話すかのように、声を発したのは『漱石アンドロイド』だ。
漱石アンドロイド監修者の、大阪大学大学院の石黒浩教授をゲストに迎え、2017年1月27日に二松学舎大学で開催された、朝日新聞社の現役記者と、一般参加者がともに考え、社会課題の解決策を探る『未来メディアカフェ』の一幕だ。
『漱石アンドロイドプロジェクト』は、夏目漱石が漢学を学んだ学校法人二松学舎と、『マツコロイド』の生みの親でもある石黒教授が進めるプロジェクトに、漱石の孫である夏目房之介氏、朝日新聞社が協力したことで実現した。第11回目を迎えた未来メディアカフェは、石黒教授とロボット取材経験が豊富な朝日新聞社の嘉幡久敬記者と共に、「吾輩は漱石アンドロイドである~人型ロボットと未来社会」をテーマに開催された。
なお、石黒教授が語り下ろした漱石アンドロイドの創作秘話はこちらの記事に詳しい。
これまでの20年間でロボットは2歳児程度まで進化した。今後33年で30歳まで進化できる?
イベントは、嘉幡記者によるロボット史の振り返りから始まった。幼い頃、ロボットに初めて出会った体験と、その長年の取材から得られた知識をスピーディにオーディエンスに伝えていく。
「1970年。当時幼稚園児だった私は、母親に連れられて行った渋谷の児童会館で、初めてロボットを見ました。決まった時間が来ると目が光って、物陰からおじさんが『こんにちは』と言うようなロボットでした」
嘉幡記者は自身のロボットとの出会いをこのように語る。
それから時が流れた1997年、「2050年に、サッカーの世界チャンピオンチームに勝てる、自律型ロボットのチームを作ること」を夢見て始まった『ロボカップ』を紹介した。
「2011年には二足歩行ロボットがボールを蹴れるようになり、人間で例えると1歳児程度まで進化しました。2016年には、ボールを蹴って浮かせられるようになり、走れるまでになりました。
これまでの20年間で2歳児程度までロボットは進化しています。今後は動きだけでなく、人工知能が必要になってきます。2045年には、人工知能が人間の知能を越える、“シンギュラリティ”が来ると唱える人もいます。そこから5年後の2050年には、ムーアの法則によって、人間でいう30歳ぐらいにロボットが到達し、ひょっとしたらサッカーのチャンピオンチームと対戦できるかもしれません」
こう嘉幡記者は続ける。
以前は研究開発段階であったロボットは、徐々に我々の生活に入り込んで来た。そこには「人工知能との融合」「ネットとの融合」「人とのコミュニケーション」の3つのキーワードがあるという。ロボットと人工知能の融合はすでに進んでいる。混同されがちな2つだが、ロボットはセンサーを持ち情報を受け取って動くもの。一方、人工知能はロボットに情報を送るための、さまざまなデータの計算を司るものだ。物流倉庫のピッキングロボットなどは、需給のバランスやピック効率を考えて動くことが可能となり、すでに人間以上のパフォーマンスを発揮しつつある。
インターネットとの融合においては、ビッグデータ収集の端末としてロボットは大きな価値を持っている。
企業の受付などで見かける感情を認識するソフトバンクのロボット『ペッパー』やドローン、監視カメラなどは、情報収集端末としてさまざまなデータをクラウドに収集し、人工知能によってさらに賢くなることが可能だ。
最後が、石黒教授が研究を進める領域でもある「人とのコミュニケーション」だ。
ロボットではなく人間に興味がある。深く人間を理解するためにロボットを作る
嘉幡記者に続き、いよいよ石黒教授が口を開く。まずは、なぜロボット・アンドロイドを研究するのかという根源的なモチベーションからだ。その言葉はなかなかに意外。子供の頃はロボットに興味がなかったという。
「幼い頃は絵書きになりたかったんです。しかしそれでは食べていけないので、コンピューターを勉強することにしました。コンピューターを学ぶと人工知能に興味を持つようになります。しかし、”脳”だけ作ったとしても、経験を重ね賢くなることはできません。そこでロボットに行き着いたのです」と石黒教授は語る。
「ロボットよりも人間自体に興味がありました。小学生の頃、先生に『人の気持を考えなさい』と言われ感動したことを覚えています。『いくら考えても全然わからないのに、大人になると、人の気持がわかるようになるんだ』と。まあ、高校生くらいで、そんなこと分かるわけがない、と気づいたんですけどね(笑)」
石黒教授の研究はロボットを使って人間自体を知ることにあると強調する。そして、芸術家の道を歩んだわけではないが、ロボット研究と芸術の両者は本質を大きく変えるものではない、と語る。芸術家はキャンバスに人間性を表現する、それがロボットに変わっただけ。ロボットの研究は、一定までは勉強しなければ、”何がわからないのか”まで辿り着くことはできない。しかし、新しいものを生み出すには芸術的なセンスが必要になるのだ、と石黒教授は言う。
「新しいものを作っていくには、直感が大事になってきます。ロボット製作の全てに理由が必要なのであれば、有名な二足歩行ロボットも生まれなかったのではないでしょうか。直感でロボットを作りフィールドで実証してみるしかありません。そこに後から理由付けができれば、人間理解のための新しい発見となるし、理由付けができなければそれは間違っていたということです」
石黒教授の研究室では、ロボットを作って人間を知ると同時に、ロボットを作るヒントを人間の科学的理解に求める、認知科学とロボットが融合した新しい分野を作ろうとしている。人間に必要なものは、ほとんどがすでに発明されていて、強いニーズに後押しされた発明は激減する。より人間に親和性が高いもの、より効率を高めていくものが必要となり、それは深い人間理解の先にしかないのだという。
文学と工学の融合が、イメージでしか存在しないものを実体化させる
▲漱石アンドロイドが語り、動く。参加者はその姿をスマホに記録せずにはいられない。
石黒教授が目指すのは「ロボット社会」だ。定義は、ただロボットがたくさんいる社会ではなく、人が人のことをより理解できる社会だ。ロボット研究の中で大切なのは文理融合の研究で、人間理解とロボット工学は密接に結び付いているが、より広く深く結びつくのは演劇なのだ。
「認知科学は、実験室など限定されたところでは役に立つとしても、『今この場でどう振る舞うのが人間らしいか』という問いは解決できません。それを解決できるのが演劇などの演出家だと思います。私は今、演出家と一緒にロボット演劇をやっていますが、演劇はロボット工学に大きな影響を与えましたし、ロボットは演劇で使われ新しい芸術を生んでいます。
その先は文学だと考えます。漱石アンドロイドは演劇よりも幅広い文理融合を可能にします。これまで文学と工学が結びつくなんて誰も考えなかったはずです。文学研究は作者像に迫り、それ再現することが重要になります。これまで、漱石の文学研究を行う複数の研究者がそれぞれ少しずつ違うことを言っていましたが、全ての知識をアンドロイドに集約することで、統一イメージを作ることが可能になります。
この統一イメージによって再現された漱石の人格に、小中学校で読み聞かせなど、もう一度教育をしてもらうのです。漱石アンドロイドの言葉を聞き、話をすることで、子どもたちは漱石アンドロイドから影響を受けるはずなんです」
イメージにしかないものを実体化させ、再び社会のなかで影響できる存在として共有できる。
これは、工学においては究極的なものであり、文学を変えていくものでもある。漱石アンドロイドプロジェクトはそのスタートになって欲しいと石黒教授は言う。
漱石アンドロイドを起点に、ロボット・アンドロイド研究の深淵が垣間見えた、イベント前半。後半では参加者の質問に石黒教授と嘉幡記者が答える。参加者と“ともに考える”ロボット・アンドロイド社会とは?