2030 SDGsで変える

難民の乳幼児の命を救う、日本発のアレ
シリアから逃れたパレスチナ難民の母親のカバンに入っていたものとは

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神田明美

朝日新聞
科学医療部記者

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人は生まれた瞬間、どこで生まれても同じように命が守られているか。残念ながら、紛争や不十分な衛生環境、保健、医療は、生まれた命に格差をもたらしている。だが、格差をゼロにしたい、と日本が世界での普及を目指しているものがある。母子手帳だ。

上写真はガーナで作成中の母子手帳の試作を手に、母子と話す萩原明子さん(JICA提供)
 

難民のかばんの中に、1冊の母子手帳

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▲パレスチナ難民の母子手帳を持つ母親と赤ちゃん(UNRWA提供)

 
国際協力機構(JICA)の専門員、萩原明子さん(54)が、その写真を目にしたのは、アフリカ・ガーナの辺境、隣国ブルキナファソとの国境に近い町にいたときだった。
2015年9月。保健師を育成する指導のために滞在していた。朝食を食べながら、スマートフォンでネットを見ていた。
すると、自身が作成にたずさわったパレスチナ難民の母子健康手帳の写真が現れた。JICAは、パレスチナ保健庁に協力し、パレスチナ難民のためのアラビア語母子手帳ができた。2008年からパレスチナ難民が通う診療所で配られている。萩原さんは手帳を作る作業の中心を担った。

 
シリアから逃れた難民のかばんの中身を見せてもらう、という、ネット新聞ハフィントンポスト英国版の記事の写真だった。シリアのダマスカスから、トルコに入り国境を越えてボートでギリシャへ着いたという20歳の女性。かばんには、10カ月の娘のための靴下や乳児食、おむつとともに、母子手帳があった。

 
パレスチナ難民は、自治区だけでなく、ヨルダン、シリア、レバノンなど周辺にもいる。難民として身を寄せているシリアから、再び内戦で逃れなければならなかった女性を思った。母子手帳には、産前健診や子どもの予防接種、体重など成長の記録が一冊におさめられる。どんな思いで母子手帳をかばんに入れたのか。大事そうに透明のビニール袋に入れられていた。きっと、水に濡れても大丈夫なようにと思ったのだろう。涙が一気にあふれ、流れた。
そのときに母子手帳の重要性を改めて確信した。「これこそ、子どもの命を守るモノ。難民こそ持つべきモノだ」

 

日本の乳幼児を救った母子手帳が、世界の乳幼児を救う

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▲さまざまな国の母子手帳

 
母子手帳は、世界で初めて1948年に日本で誕生した。母親が妊娠したときから、乳幼児期にいたるさまざまな大切な情報が、1冊に収められている。JICAや市民団体が、その国ごとの母子手帳を作る支援を続け、日本から広がりつつある。約40カ国で使われているか作成中だ。現在、JICAの支援でアフリカ・ガーナの母子手帳が2017年中に完成予定で、萩原さんは何度もガーナへ足を運んでいる。

 
日本では、終戦後間もない時期に母子手帳ができ、母子の死亡率低下に貢献したと言われる。いま、日本の、生まれてから5歳になる前までに亡くなる乳幼児死亡率は、国連児童基金(ユニセフ)の世界子ども白書2016によれば、世界的に最低水準の1000人あたり3人だ。もっとも少ないのは、フィンランドなど欧州3カ国の2人だった。
もっとも多い国は、アフリカのアンゴラ。1000人あたり157人にのぼる。100人以上の国は、アンゴラを含めてアフリカの8カ国だ。幼い子どもの命が亡くなる率は、国によって大きく開きがあるのが現状だ。

 
乳幼児死亡率を下げるためには、医療だけでなく、その国の栄養状況や、道路、水道といった生活にかかわる基本的なインフラ整備など、多くの課題が改善されることが必要だ。その中で、日本の経験から、母子手帳も死亡率低下に貢献できると期待できそうだ。

 
30年までの国連持続可能な開発目標(SDGs)では、すべての国が5歳以下の死亡率を、少なくとも1000人中25人以下まで減らすことを目指している。
母子手帳をさらに世界中へ広めようと、世界保健機関(WHO)も動き始めた。母子手帳作成のガイドライン作りにとりかかっている。2017年中にも完成する見通しという。ガイドラインに盛り込まれるのは、各国が母子手帳を作るときに盛り込むべき内容や、運用上の注意点、デザイン上の注意点などだ。

 

アップデートされ、母子手帳2.0へ

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▲パレスチナ難民の母子手帳を持つ父親と赤ちゃん(UNRWA提供)。

 
難民が持つパレスチナの母子手帳が、新しい段階に進む。紙の手帳に加えてスマートフォンやパソコンでも見ることができるように、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)やJICAがアプリを開発中で、近々、電子化されるのだ。

 
ガザ地区とヨルダン川西岸地区のパレスチナ自治区、ヨルダン、シリア、レバノンの難民キャンプなどで生まれる子どもは年間10万人。母子が受診する約140カ所のUNRWAの診療所でカルテの電子化が順次進められているため、母子手帳に記載する情報と連動できる。

 
UNRWA保健局長の清田明宏さん(56)によると、シリアで登録されたパレスチナ難民は約50万人だが、内戦のために10万人は国外へ避難、残る40万人の3分の2は国内避難民になった。そうした不安定な地域では、電子化された情報が役に立ちそうだ。

 
JICA専門員の萩原さんは、「逃げるときに万一、母子手帳が無くなっても、電子化されていれば、避難先で継続した健診が受けられる。子どもの命を守るものになる」と考えている。
UNRWAの清田さんは「アプリの製作は佳境に入って熱気が高まっている。2017年4月のスタートに向けて、2月末からは診療所や母親も巻き込んで準備を進めている」と話している。

  • writer神田明美

    朝日新聞
    科学医療部記者

    1992年、朝日新聞社入社。社会部、文化くらし報道部などを経て、2014年から科学医療部。約10年にわたり、生物多様性、森林、気候変動、廃棄物など、環境分野を幅広く取材。

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